クラス(学級)づくりとは?㊤
社会の縮図としてのクラス
30数人の子どもで構成されるクラス、家庭環境は様々です。
親の職業は様々で、経済力も様々です。
家庭訪問すれば一目瞭然ですが、大豪邸といえる家に住んでいる子もいれば、小さな借家に住んでいる子もいます。
母子家庭や父子家庭の子もいます。
生活保護を受けている家庭の子もいます。
ある時、母子家庭で就学援助を受けるために事務職員に提出する書類を預かったことがありました。
その書類に「年収100万円」と書いてあり、驚きました。
子どもの貧困率が、6人に1人、7人に1人という報道を耳にしますが、そういえば自分のクラスにも就学援助を受けている家庭が、5~6軒ありました。
ある年、心の痛むことがありまた。
京都・奈良方面への修学旅行。
行事を行う場合、原案を子どもたちに提案し、各クラスの討議を経て、全クラスの学級委員と班長で構成する〝拡大班長会〟で討議し決定していきます。
あるクラスから「服装は自由」という修正案が出されました。
教師集団は、それまでの子どもたちの自主的な活動、自主的に規律を築いてきた実績を評価し、許容する方針を持っていました。
修正案は可決され、子どもたちは喜び、教師たちも了承しました。
私のクラスにKくんがいました。
母子家庭で、お母さんは病気持ちで働いていません。
家庭訪問でお母さんから経済的な大変さを聞いていました。
役所に行くたびに「働けないのか?」と責められることも。
私は迂闊にもそのことを、修学旅行について子どもたちが討議している過程で、すっかり忘れていました。
修学旅行当日、子どもたちはウキウキワクワク、集まってきました。
私服で、特別華美な服装の子もいません。
教師たちは、私服にしてよかったんじゃないかと話し合っていました。
その中で一人だけ、制服を着ている子がいました。Kくんです。
私は〝あっ〟と言葉を呑みました。
Kくんが、毎日学校にキツキツになった制服を着てきていることを思い出しました。
3年生になり、入学の時に用意した制服が小さくなっているのに、替えの制服を買えないんだなと思っていました。
Kくんは修学旅行に着ていく私服がなかったのです。
バッグはそもそも自由で、何がそんなに入っているのかなと思うような大きなバッグを抱えている子もいます。
Kくんは、通学バッグを持っていました。
私は、「Kくん、おはよう」としか言えませんでした。……
社会の縮図ともいえる学校、学級。
子どもたちを取り巻く社会的背景を抜きに子どもたちを語ることはできません。
その中で子どもたちが、助け合い励まし合う関係、学び合い育ちあう関係を築いていく。
そこに、クラスづくりの目的があるのではないでしょうか。
教師集団の特異性
学校・学級は、社会の縮図ともいえます。
ところが、教師集団はかなり特異です。
今は、教師の仕事が大変な〝ブラック〟だということが明らかになり、採用試験の倍率は下がり続け、毎年史上最低を更新している状況です。
私が教師になった頃は、高倍率が続いていました。
大学を卒業していないと、教員免許は取れません。
学校という職場は、いわゆる用務員さんや給食の調理さん等、一部の職員を除くと全て大学卒という職場です。
教師は全員が大学を卒業し、採用試験の難関を突破してきたエリート集団ともいえるのです。
そこに、社会の縮図としての子ども集団との間に、少なからぬ〝ギャップ〟があるように思います。
ついつい子どもたちを〝上から目線〟で見てしまう。
職員室で、「あの子はバカだから」とか「あの子はどうしようもないよ」とか、心無い言葉を聞いたこともあります。
私自身も、クラスづくりがうまくいかなった時の原因の一つが、この〝上から目線〟だったと思っています。
前に述べたように、教育の3つの規範(47教育基本法、日本国憲法、子どもの権利条約)に則り、子どもを人間として最大限尊重する、子どもの人権を最大限尊重するという姿勢を崩すことなく、どの子も人間らしく成長していく、そのためのクラスづくりに取り組んでいきたいものです。
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