係活動始まる(1)
出席をとる
2010年、その頃私の勤務していた学校は、子どもは8時40分までに登校して(ただし、多くの子は部活の朝練で7時30分に登校していました)、まず10分間の〝朝読書〟。
職員は8時30分出勤で打ち合わせ。
40分に教室へ行って、子どもの朝読書に合流。
8時50分から朝の会、55分まで。
9時から1時間目の授業という日課でした。
私は職員会議で、「朝の会が5分間では、一人ずつ呼名して出席をとることさえ儘ならない。
連絡事項を伝えるだけの時間にしかならない。
子どもたちに何か話をする時間もない。
せめて10分間は必要だ」と発言しました。
私の発言に同調して「これじゃ、学級担任とは言えない。ただの事務連絡員じゃないか」という発言もありました。
頷く職員もいましたが、「打ち合わせが10分間ではなかなか終わらない現状がある。
また、これ以上1時間目の開始を遅くすることもできない」と教務担当が発言。
「出席確認は、一人ずつ呼名しなくても、教室を見回せば、誰が欠席しているかわかる」という発言まで飛び出しました。
賛否両論ありましたが、結局「そうしよう」という意見に押し切られました。
私はあまりに乱暴な議論に唖然としていました。
一日のスタートに当たって、一人ずつ名前を呼びながら表情を見、存在を確認するという作業は欠かせないのではないかと私は考えています。
それは子どもたち同士にとってもそうではないかと思っています。
一人の人間の人格を表す名前を呼ぶことは、個人の尊重という基本思想ではないか、教育にはそういう丁寧さが必要ではないか、と思うのです。
教室を見回し、「きょうは、○○さんと○□くんがいないね。他の人はいますね」とか、「きょうは全員いますね、欠席はいませんね」とかで、私はどうしても済ませられませんでした。
それは、理屈を超えた心髄のような感覚でもあります。
そこで私は。朝の会が5分間になっても、一人ずつ名前を呼んで出席をとることに拘りました。
教卓に出席簿のコピー(出席簿は公簿なので)のファイルを置いていました。
出席朝の会係には、8時50分になったら前に出て、出席簿を見ながら一人ずつフルネームで呼名するように指示しました。
それで出席朝の会係の方針に「大きな声で出席をとります。
朝の会は5分間なのでスムーズに進めます」という項目が入っています。
欠席者がいたら「黒板の右下隅に名前を書きます。
私は、保護者から電話で連絡を受けているので、本人のプライバシーを守る範囲で「○○くんは風邪でお休みです熱が出ているんだって。心配だね」などと伝えます。
帰りの会に、「出欠席の確認」のコーナーがあり、出席朝の会係が「きょうは、欠席はありません」「きょうは○△くんが欠席でした」などと報告します。
以前に、こんな経験がありました。
授業に行ったあるクラスで、◇○さんの席が空いていたので、隣の席の子に「◇○さん、欠席? どうしたのかな?」と聞いたら、素っ気なく「知らない」と言うのです。
周辺の子たちに訊いても、反応がありません。
その子たちを責めるつもりはありませんでしたが、毎日生活し学習する仲間としての関係が希薄ではないのかなと感じました。
私にとっては、かなりショックな経験でした。
私は「ホームルーム(home room)」という言葉が好きです。教室は、家庭のような温かさのある所でなければならないのではないかと思うのです。
出席朝の会係の仕事
出席朝の会係の仕事は次のようになります。
8:39 前に出る
8:40 「朝読書を始めてください」と指示
席に着いていない人、読書を始めていない人、私語などをしている人を注意する
8:50〔朝の会〕の司会進行
- 前に出る(鉛筆を持って)
「朝読書をやめてください」
「おはようございます」
「□月◇日○曜日 朝の会を始めます」 - 「出席をとります」一人ずつフルネームで呼ぶ
欠席者・遅刻者を出席簿と黒板に記入する。
早退者が出たら、その都度記入する。 - 「今日の連絡をします」(担任から今日の連絡メモを渡しておく)
例えば「きょう放課後、1組の教室で学級委員会があります」「きょう雨なので、体育は体育館に変更です」など「他に連絡はありますか」 - 「先生から、お願いします」
短い時間ですが、朝の会は重要なのです。
5分で終わらせるのは至難の業ですが、テキパキとできるかどうか、出席朝の会係の6班の手腕にかかっています。
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