きみにとって学校とは(1)
人間の温かさを食べたい
学校へ行きたい
学校へくるなといわれても
ぽれは行く
たとえ授業がわからなくても
おれは行く
当番はやらないし机はぶっこわす
ゴロツキでのけものだけど
おれは朝起きると
登校するために顔を洗い
教科書とノートをかばんに押しこめ
五分でめしを食って門まで走る
なぜかわからないけど
朝のオレの仕事はそうに決まっている
……
みんなと話したいんだよ
教室のストーブのあたたかさを食べたいんだよ
劣等生で暴れん坊で、〝あいつ何のために学校にくるんだろう〟なんて思われるヤツだってたいてい毎日こうして学校にやってくる。
みんなと話し合いたい、ストーブの温かさ(ほんとうは人間のあたたかさ)を食べたいと願って……
よほどのツッパリだって、決して学校をしんから嫌いではない。
だから、授業は「つまらない、わからない」と言ってサボるけど、学校には必ずくる。
卒業してからも、よくやってくる。それは、やはり何といっても〝人間のあたたかさ〟が欲しいのだ。
だから私たちは、学校が人間の温かさを感じられるところ、卒業してからも行ってみたくなるところ、甘ずっぱい〝なつかしさ〟が満ちているところにしなければならない。
そのためには、先生たちの努力がもちろん何より重要だが、それはきみたち自身の問題でもある。
クラスがバラバラで、みんなが小さなグループに分かれて好き勝手なことをやっていたり、誰も先に立って進んでやろうとしなかったり、弱い者いじめや仲間はずれが横行したりすれば、学校がいつまでも〝温かいもの〟を残してくれるなつかしい場所になるわけがない。
(三上満『受験時代に~きみたちのゆく道は~』より)
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