理論

自治をめざすクラスづくり(85)きみにとって学校とは②

きみにとって学校とは(2)

 きびしく人間らしさを鍛えるところ

前回、学校は「人間のあたたかさを食べる」ところだという話をした。

だが学校は、やはりイイカゲンに過ごすところではない。
学校は価値あることを学び、きみたちがぐんぐん人間らしさを身につけていく場だ。
だから、学校はきびしいところでもある。
なぜなら、人間らしさを身につけるということは、きびしい努力のなかでもたらされるものだからだ。

そしてきみたちがそろって〝学校〟に通い、そういうきびしい〝鍛え〟に打ちかって人間らしく成長してくれることを社会全体が願っている。
その願いをこめて社会全体がきみたちを毎日送り出しているところ。
それが学校というものだ。

こういうことを考えてごらん。
朝おまえが学校へ出かけるとき、ちょうどその時に、この市では、三万人もの子どもたちが、おまえと同じように、三時間教室の中に閉じこもって勉強するために、学校へ出かけて行くのだということを。
いやそれどころではない!考えてごらん、ほとんどその時間に、数えきれないほどの子どもたちが、あらゆる国々で学校へ出かけていくのだということを。
そういう子どもたちの姿を、頭の中で想像してごらん。

静かな村の小道を歩いて行く者もあれば、騒々しい町なかの通りを通って行く者もある。
海や湖の岸にそって焼けつくような太陽のもとを行く者もあるし、また霧の中をついて行く者もある。
運河のたくさん入りまじった国では舟で行く者もあるし、大きな平原で馬にのって行く者もある。
そうかと思えば、雪の上をそりで行く者もあれば、谷を渡り丘を越え、森をぬけ、急流を横切りさびしい山路をたどる者もある。
あるいはひとりで、あるいはふたりで、あるいは群れをなして、あるいは長い列をつくって、みんなわきの下に本をかかえて、色とりどりの服装をして、さまざまな言葉をしゃべりながら、氷の中にほとんど閉ざされんばかりになっているロシアのはての学校から、しゅろの葉かげのアラビアのはての学校にいたるまで、何百万、何千万という子どもたちが、みんな同じことをいろいろ違った形で習うために学校に行っているのだよ。

このさまざまな国民の子どもたちの大きな大きな群れを想像してごらん。
おまえもその中のひとりである。
この途方もない大きな動きを想像してごらん。
そうして考えてみるのだ。 

もしこの動きがやむようなことがあったら、人類はふたたび野蛮の状態におちいってしまうだろう。
この動きこそ、世界の進歩であり、希望であり、名誉なのだ、と。  

だから、勇気を出しなさい。この大きな軍隊の中の、小さな兵隊よ。
おまえの本は、おまえの武器だ。
おまえのクラスは、おまえの部隊だ。戦場は世界だ。
そして勝利は人類の文明なのだ。
卑怯な兵隊であってはいけないよ。                               

エンリーコ。父より。

(アミーチス『クオレ』) 

 

きみたちが一人残らず、しっかりと学校で学び、善悪の判断や、働いている人びとの役に立つ力や、人間らしい心を育ててくれない限り、人類の希望も、文明の発展もないのだ。

                        (三上 満『受験時代に~きみたちのゆく道は~』より

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