実践

自治をめざすクラスづくり(94)勉強について考える④【いまこそ学校に希望を152】

勉強について考える(4)

勉強することの意味を考える

〝勉強〟とは、ずっとつきあうもの

中学時代、体育祭・文化祭・合唱祭、遠足、キャンプ、修学旅行などの行事、部活動…… いろいろなことに幅広くとりくみながらも、君たちが第一にがんばらなければならないことは、やはり勉強なのです。

きみは「うるさいなあ」と思っているかもしれないが、お母さんやお父さんが「勉強しなさい」というのは、ある意味では至極当然のことなのです。

そのことを考えてみましょう。

「勉強しなさい」と言われること

「勉強しなさい」と、こぞって親が言うようになったのは、いつごろからでしょうか。

昔、「勉強しなさい」と言われたことのある子どもが、いったいどれだけいたでしょうか。江戸時代の言葉に「文字を知るは憂いの始まり」というのがあるくらいです。多くの庶民の家では「勉強」などということは問題にもならなかったでしょう。

いや、そんなに昔のことでなくても、「女に学問はいらない」とか「勉強するひまがあったら、牛の世話をしろ」と言われていたのは、つい最近のことです。

「生まれ」で決められた生き方

江戸時代は、士農工商の身分制度の世の中、生まれた身分・階層によって、その生き方もくらし方もほとんど決まっていました。多くの農民の子は、農民で一生を送る以外の自分の将来を想像したこともなかったでしょう。そして、身分に応じて必要な技能や教養はそれぞれ用意されていたので、特別「勉強しなさい」などという必要はなかったし、よけいな勉強をすることは何の利益にもならなかったのです。

明治以降はどうでしょうか。農民・労働者の子どもたちのほとんどは、小学校を出るとすぐ、家業を継ぐか、家計をたすけるために働くか、口減らしのために奉公に出されるかでした。「どんな生き方をしようか」「勉強してこんな職業に就こう」などと考える余地も選択の自由もありませんでした。結婚相手だって親が決めていた時代でした。

「昔から受験戦争はありましたよ」と言う人がいるかもしれません。しかし、それは、そういう階層に属していた人たちの話です。小学校より上の中学校(今の高校の前身)へ進学した人は、1900(明治33)年で2.9%です。大多数の子たちには無縁でした。

戦後の大きな変化 ~人生をきりひらく力を~

第二次世界大戦後、大きく変わりました。日本国憲法が制定され、基本的人権が保障され、職業選択の自由も教育を受ける権利も明記されました。小学校の上に、すべての子どもに中学校3年間の教育が保障されました。高校への進学率も年ごとに上昇し、1960年には50%を超え、1970年には80%を超えました。

文部省は、こう述べました。

「現在の高等学校は義務制でこそないが、国民全体の教育機関として中学校卒業者で希望する者はすべて入学させることを立前とし……」

(文部省初等中等局長通達「公立高等学校入学者選抜について」1951年9月)

こうして、戦後民主主義教育は、全ての若い国民に主権者としての資質をつちかうとともに、自らの進路を選び、きりひらくための準備をする時期としての青年期を保護しようとしたのです。

自分が自分の人間としての生き方を見つけだし、自分の力できりひらくことができる時代に生きているということです。「職業」から「生き方」まで、あらかじめきめられた道をたどっていくほかなかった時代を、人類の歴史はすでにのりこえ、自分の道を自分できめていく可能性をひらいてきたのです。

勉強について、悩んだり、重荷に思ったりすることもあるでしょうが、人間のあり方から見れば、大きな意味のあることなのです。

現代の社会を人間らしく,幸福を追求しつつ生きていくためには、できるだけ多くを学ぶ必要があるのです。

                (参考:菊地良輔『中学生の進路と受験期』)

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