教育思想

自治をめざすクラスづくり(96)勉強について考える⑥【いまこそ学校に希望を154】

勉強について考える(6)

はいってきた老船長は、そんなことには気がつかずにパイプをふかしていたが、ひょいと海図の上に目をやった。

「おや、これはおかしいぞ?」

 そういって目をこすったが、メガネがないのではっきりとは見えない。

「ここに島があるようだぞ。いやに近くにあるな。しかし、たしかに島だ」

 老船長があわてて甲板にとびだしていった。

「おーい、見張りのもの、前方、すこし左のほうに島が見えるじゃろ」

「なんにも見えません」

「いや、たしかにあるはずじゃ。ようく見ろ」

 その夜は星も少なかったから、見張りも楽ではない。しかし、よくよくながめても、水平線には島のかげらしいものはなかった。

「ないって? おかしいぞ。あの海図を信用すれば、もう見えてもいいころじゃ。しかしこの前みたいに、へんてこな島などがひょっこり出てくるようじゃ、どうも近ごろの海図は信用できんな」

 船長は腕をくんで考えこんだが、たちまちハタとひざをたたいた。

「そうじゃ、夜だもんで、うっかりして通りすぎてしまったのかもしれないぞ。きっとそうじゃ」

 そして船長は次のように命令をくだした。

「おーい、野郎ども、でも、者ども、でも、なんでもいい。みんな、はやく針路を変えろお!元きたほうへ戻れえ!」

 船がだしぬけに針路をかえ、西南の方角へ走りだしたとき、クプクプはわけはわからなかったが、さすがにうれしかった。おまけに追い風となってきたので、船のスピードもなかなか早い。

 これこそ、ナンジャたちの〝けがの功名〟というものだろう。

〝けがの功名〟ということばが、なんのことだかわかっていない人たちは、メンドくさがらずに、字引をひいてみるといい。

「ケガ——傷ついたこと。傷。負傷」

 なんだかかえってむずかしくなってしまった。次にはコウミョウとひいてみる。高名や光明や巧妙ではなく、功名のところをさがしてみる。

「功名——功をたて名をあげること。てがら」

 これで両方の意味がわかった。つなげてみて、それでもハッキリしないときは、もう一度、前のことばをひいてみると、おしまいにちゃんとのっていることが多い。

「けがの功名——-過失が思いがけなくも功名となったこと」

 これでハッキリした。過失というのがむずかしければ、カシツと字引をひけばいい。

 こんなふうに、わからないときは、自分でどんどん字引をひく習慣をつけなければいけない。

 わたしたちが、なにげなく使っていることばでも、いざ尋ねられてみると、あんがいわかっていないことが多い。そういうことをハッキリさせておくことは、ハッキリしないままほっておくよりずっといい。

 といって、本にかいてあることを、そのまま暗記するだけではいけない。覚えることよりも、自分で考えだすことのほうが、ほんとうはずっとたいせつなことなのだ。しかし、考えるためには、まず最小限度のことがらを覚えなければならない。最小限度ということばがわからない人は、さっそく字引をひいてみること。

 さて、とにかく、けがの功名という意味はわかった。

 船はナンジャたちのけがのコウミョウによって、うまく針路をかえ、クプクプはすっかり喜んだわけだが、だいたいけがの功名というのは、まぐれあたり、偶然の力である。そういうことばかりつづくものではない。

 次には、悪い運命がやってきた。

 運命ということばがわからない人は字引をひくこと。これ一回で、もうあとは一いちうるさくくりかえさない。

                      北杜夫『船乗りクプクプの冒険』より

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