勉強について考える(6)
はいってきた老船長は、そんなことには気がつかずにパイプをふかしていたが、ひょいと海図の上に目をやった。
「おや、これはおかしいぞ?」
そういって目をこすったが、メガネがないのではっきりとは見えない。
「ここに島があるようだぞ。いやに近くにあるな。しかし、たしかに島だ」
老船長があわてて甲板にとびだしていった。
「おーい、見張りのもの、前方、すこし左のほうに島が見えるじゃろ」
「なんにも見えません」
「いや、たしかにあるはずじゃ。ようく見ろ」
その夜は星も少なかったから、見張りも楽ではない。しかし、よくよくながめても、水平線には島のかげらしいものはなかった。
「ないって? おかしいぞ。あの海図を信用すれば、もう見えてもいいころじゃ。しかしこの前みたいに、へんてこな島などがひょっこり出てくるようじゃ、どうも近ごろの海図は信用できんな」
船長は腕をくんで考えこんだが、たちまちハタとひざをたたいた。
「そうじゃ、夜だもんで、うっかりして通りすぎてしまったのかもしれないぞ。きっとそうじゃ」
そして船長は次のように命令をくだした。
「おーい、野郎ども、でも、者ども、でも、なんでもいい。みんな、はやく針路を変えろお!元きたほうへ戻れえ!」
船がだしぬけに針路をかえ、西南の方角へ走りだしたとき、クプクプはわけはわからなかったが、さすがにうれしかった。おまけに追い風となってきたので、船のスピードもなかなか早い。
これこそ、ナンジャたちの〝けがの功名〟というものだろう。
〝けがの功名〟ということばが、なんのことだかわかっていない人たちは、メンドくさがらずに、字引をひいてみるといい。
「ケガ——傷ついたこと。傷。負傷」
なんだかかえってむずかしくなってしまった。次にはコウミョウとひいてみる。高名や光明や巧妙ではなく、功名のところをさがしてみる。
「功名——功をたて名をあげること。てがら」
これで両方の意味がわかった。つなげてみて、それでもハッキリしないときは、もう一度、前のことばをひいてみると、おしまいにちゃんとのっていることが多い。
「けがの功名——-過失が思いがけなくも功名となったこと」
これでハッキリした。過失というのがむずかしければ、カシツと字引をひけばいい。
こんなふうに、わからないときは、自分でどんどん字引をひく習慣をつけなければいけない。
わたしたちが、なにげなく使っていることばでも、いざ尋ねられてみると、あんがいわかっていないことが多い。そういうことをハッキリさせておくことは、ハッキリしないままほっておくよりずっといい。
といって、本にかいてあることを、そのまま暗記するだけではいけない。覚えることよりも、自分で考えだすことのほうが、ほんとうはずっとたいせつなことなのだ。しかし、考えるためには、まず最小限度のことがらを覚えなければならない。最小限度ということばがわからない人は、さっそく字引をひいてみること。
さて、とにかく、けがの功名という意味はわかった。
船はナンジャたちのけがのコウミョウによって、うまく針路をかえ、クプクプはすっかり喜んだわけだが、だいたいけがの功名というのは、まぐれあたり、偶然の力である。そういうことばかりつづくものではない。
次には、悪い運命がやってきた。
運命ということばがわからない人は字引をひくこと。これ一回で、もうあとは一いちうるさくくりかえさない。
北杜夫『船乗りクプクプの冒険』より
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