勉強について考える(8)
興味づけが大事 「なぜ勉強する?」に答えて
女子柔道オリンピック銅メダリスト 山口 香
人はなぜ勉強するのか、なぜ学ぶのか、言葉にするのはとても難しいと思います。
私自身、柔道の世界でがんばってきたわけですが、周りの人たちには、何のためにそんな苦しい思いをしてとか、何が楽しくてと聞かれても明確な答えをすることはできませんでした。
しかし、競技生活を終えたいま、漠然と考えられることは、決して何かを得るためだけにやってきたのではないということです。
人間は本来、何かを求める気持ち、知りたいと思う気持ち、また、新しいものにふれてみたいという欲求をもっていると思います。いいかえれば、自分の未知の可能性への挑戦とでもいえるかもしれません。
私が柔道にあこがれたのは、何の道具を使うわけでもなく、自分の素手で相手を投げることができる、そんなところにはかりしれない魅力を感じたのだと思います。
そして、実際には毎日毎日つらい練習をして試合に勝てた時、自分のやったことが一つの結果となった喜びがあり、このこともがんばるエネルギー、学ぶということの大きな原動力でした。
さらに、試合に勝つということ以上に魅力だったことは、何かに向かってただひたすらがんばる自分、柔道をしていると他の事を忘れてそれだけに打ち込めることでした。そういうふうに思えたのも、私が誰かにやらされているという意識がなく、自分が好きだからしているんだという気持ちも大きかったように思います。
現在の学校教育、家庭教育をみていると、学ぶというよりも一方的に教える部分が多すぎておしつけているようにもみえます。私も柔道を両親や先生たちにやらされているという意識があったら、きっと反発していたと思います。
両親は、柔道を全く知らないということもあって、がんばってやっていることに対してほめることはあっても口は出しませんでした。このほめるということは、非常に大切なことではないかと思います。誰でも怒られるよりは、ほめられる方がうれしいし、ほめられればもっとがんばろうという気持ちになります。私も教える立場になってみてわかるのですが、このほめるということが意外にむずかしく、怒ったり,お尻をたたいたりしながらやらせるといったほうが、教えている側もどこか満足感があるようです。
しかし、怒って無理やりがんばらせて出させる能力よりも、自分自身でその気になって引き出した能力の方がずっと大きいと思います。ただこういった教えかたはとても時間がかかりますし、一対多数では難しいのは間違いありません。
しかし、よく考えてみれば、そんなに急ぐ必要はないのではないでしょうか。急いであれこれ教えようとするあまり、表面だけととのえて知識のみをおしつける結果になってしまっている気がします。
私は学生時代、とくに中学・高校時代きらいだった教科は、数学や化学でした。なぜきらいだったかというと、できなかったということもありますが、生活に密着していなかったこともあります。
なぜこんなむずかしい問題ができなければならないのか、化学記号を覚えてなんになるのだろうなどと思いながら勉強するのですからできるわけがありません。
そういう意味では、学校教育においてすべての教科をがんばらせようという意思があるのであれば、興味づけをもっとしっかりさせることが必要だと思われます。外国に行って、言葉がしゃべれなければ水も飲めないということであれば、必死で勉強すると思います。
そこまで具体的でなくても、どこか生活に密着したところがあれば、もっと意欲をもてると思います。そして、そのように興味づけされ、必要だと納得して勉強した教科というのは、きっと学校だけの勉強にとどまることなく、生涯続けていくということにもつながるのではないかと思います。
勉強をさせる理由が、受験のためというだけではあまりにも説得力に欠けるような気がします。
やまぐち かおり
東京生まれ。
主な戦績、全日本女子柔道体重別選手権大会10連覇。
第3回世界女子柔道選手権大会優勝。
1988年ソウルオリンピック銅メダル。
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