勉強について考える(9−1)
勉学 (1)
池田晶子『14歳の君へ ~どう考えどう生きるか~』より
君は学校の勉強が面白いですか。
「面白い」と答える人は、どちらかというと、成績のいい人かな。「面白くない」と答える人は、やっぱりあんまり成績がよくない人が多いかな。
成績が悪いから勉強が面白くないのか、勉強が面白くないから成績が悪いのか。でもいずれにせよ成績の善し悪しと勉強の本当の面白さとは、じつは別のことなんだ。このことがわかっていると、
君は勉強するのが少しは面白くなるんじゃないのかな。それで学校の成績がよくなるとは限らないけど、ある意味では、べつにそれでも構わないんだ。だって、人生、面白くなければつまらないじゃないか。
君が学校の勉強が面白くないのは、たぶん、なぜこんなことを勉強しなければならないのか、納得できないからだろう。こんなことが自分に何の関係があるんだってね。国語の文法、サ行下二段活用、そんなこと教わらなくたって話はできるし、数学の計算、図形のあれこれ、買い物で支払いができるなら、そんなものできなくても構わないよね。理科や社会だって同じだ。二酸化ナトリウムの化学式や、外国の古い戦争の年号なんか、覚えたって、試験が終われば忘れちゃうだけだ。英語? 話せれば楽しそうだけど、やっぱり文法が面倒だなあ。
おおかた、こんなところだろうね。まあ確かに君が言う通り、なぜこんなことが自分に関係があるのか、疑問な部分が多いよね。でも、そのことに疑問を覚える君は、ひょっとしたら、そういう疑問をもたずに試験でいい点をとり、いい成績をとっている優等生よりも、勉強の本当をとらえているのかもしれないよ。
じっさい、なぜ勉強しなければならないのかということを、改めて考えてみても、いい成績をとって、いい学校に行くため、という以外、どうも理由が見つからない。じゃあなぜ学校へ行かなければならないのか、と考えて、その方が将来いい生活ができるから、それが自分のためだ、と親が言うから。この理由が納得できない君なら、勉強が面白くないのは当然だ。いい生活をするのが人生の目的だなんて、やっぱり納得できないじゃないか。いい生活をするために、つまらない勉強をしなきゃならないのなら、べつにいい生活なんかしなくてもいいや。
全くその通りだね。でも、ここは試しに考え方を変えてみよう。勉強するのは、いい学校に行って、いい生活をするためではなくて、賢い人間になって、賢い人生を送るためだ。賢い人間になることが、人生の本当の目的だ、だからこそ、勉強することは自分のためになるんだと。
まだ納得できないね。あんなつまらない勉強で、自分が賢くなるなんてとても思えない。そう思うのは仕方ないんだ。今の学校の勉強の仕方は、いい学校へ行くためのものであって、賢くなるためのものではないからだ。(つづく)
※〈前回1月4日付記事の訂正〉
「2025年度文部科学省 文教関係費予算案」の記事について
25年度は「教職員の定数増5827人 定数減8803人」と書きました。これは、 文部科学省のホームページで公表されている資料から採ったものです。
ところが2024年度は、定年延長に伴う特例措置として、24年度限定で4331人の定数増がありました。25年度は、この分が廃止されますので、定数減は、8803人+4331人=13134人。
差し引き7307人の定数減となります。
文科省はなぜ、この分を公表しなかったのでしょうか。(定数減を少なく見せた??)
いずれにせよ、小中学校の現場では「教員が足りない!」「定数増を!」という悲痛の声があがっていますが、25年度予算案では大幅定数減となります。通常国会が始まりますが、今年は少数与党。修正を求める声をあげていきましょう。
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