勉強について考える(9-3)
勉学 (3) 池田晶子『14歳の君へ ~どう考えどう生きるか~』より
自分で考える勉強は面白い。自分の頭で考えるということは、本当に面白いことなんだ。
どうして面白いかというと、考えれば、知ることができるからだ。知るということの喜び、自分が賢くなることの実感、これが人を夢中にするんだね。
「知る」ということを、君はこれまで誤解していたはずだ。ローマ帝国の崩壊の年号を「知っている」ことだと。
でも、本当に「知っている」ということは、そういうことじゃなかった。知っているということは、「そのことはどういうことなのか」ということを、自分で考えて、そして、知っている、理解しているということなんだ。ローマの人々の気持ちはどんなだったろう、皇帝はどう考えて次にどう行動したろう、そういうことを、自分のこととして想像して、そして納得できているということだ。
むろんそれが本当にそうかどうか、正しい答えなのかはわからない。いや、正確には「正しい答え」なんてのはないんだ。だって誰もそれを自分で体験したわけじゃないんだから、体験して知っているわけじゃないんだから、想像して考える、ここに考えることの面白さがある。考えるということは、正しい答えを求めることとは違うんだ。
正しい答えもないのに、どうして考えるのか、考えられるのか、君は疑問に思うだろう。考えるということは、正しい答えを出すことだとも誤解していたはずだからね。
なるほど、ある意味ではそれはその通りだ。答えがなければ、問いはないからだ。だけど、「そのことはどういうことなのか」ということを知るために、どこまでも考えてゆくと、答えというものはないと知る、そういう問いがあることに、人は気がつくことになる。
たとえば、数学や理科の場合は、歴史と違って、「正しい答え」というのが必ずあるように思えるね。計算すれば,答えは出るし、自然の法則は、そういうことに初めから決まっているからだ。
だけど、自然の法則がそういうことに決まっているのはどうしてなのか、という問いを立ててみるといい。君は、この問いには答えがないと気づくだろう。だからこそ人は、考えるんだ。答えがない問いが面白くて、考えるということを始めるんだ。
でも、答えのない問いなんか、学校で考えているわけにはゆかない。先生だって、試験問題に、答えのない問いを出題するわけにはゆかない。「唯一の正しい答え」、それがあるから採点できる。だからローマ帝国崩壊の年号しか、学校では教えることをしないんだ。
こういう理由で、今の学校の勉強の方法では、学んで知ることの面白さは、なかなかわからない。だから君は、学校の勉強は学校の勉強として、自分ひとりで考えることの面白さを追求してゆくのがいいだろう。本を読むのが一番いい手だ。試験問題集なんかいくら数をこなしても、賢くなるのはあんまり期待できないね。
(つづく)
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