経験談

自治をめざすクラスづくり(102)勉強について考える⑨-4【いまこそ学校に希望を161】

勉強について考える(9-4)

勉学 (4)   

池田晶子『14歳の君へ ~どう考えどう生きるか~』より

成績を気にせずに、自分の頭で考えよう、とは、あんまり大きな声では言えないな。

 まあ、要領だね。本当に大事なことは、試験や受験の先にあるということを、忘れないでいましょう。人生にとって本当に大事なことは何なのかということこそ、自分で考えて知らなければならない問いだ。自分が賢くなって、賢い人生を生きるために知ることでなければ、知るなんてことに、いったい何の意味があるだろう。

 人間には「学問」という仕事の分野がある。その歴史はとても古くて、ある意味では「有史」ということ自体がその始まりだと言っていい。人間が動物から分かれて。「知性」つまり「知る、知ろうとする性質」をもった時から、それはもう始まっていたということだ。人間は、いつも知りたかったんだ。世界とは何か、宇宙とは何か、そこで自分が生きて死ぬとはどういうことなのか。

 いつも知りたくて、考えていた。そうして文字を発明して、考えを記し、書物を作り、読んでまた考え、やがて科学というものの考え方を見つけるに至った。自分と世界を知るために、ただ考えているだけじゃなくて、実験して観察して考える。方法は違うけど、目的は同じだ。自分は、世界はどうなっているのかを知ることだ。人間は、いつもどうしても知りたいんだ。

 君がもし、自分で考えることが好きで、知ることを楽しいと感じる人なら、大学へ行って学問をして、学者になるかもしれないね。それは素晴らしいことだ、人にはそれぞれ得意があるから、実験、観察することが好きなら科学、本を読んで想像することが好きなら文学や歴史、とりあえずそう大別されてはいるけれど、本当は関係ない。根っこは同じ、知りたいという気持ちだ。

 学問をするということは、いつも知りたくて考えてきた人間の知性の営み、その長い歴史的営みに参加するということだ。これはずいぶん魅力的なことだと思わないか。科学も文学も、過去のどんな立派な人が残した仕事も、自分と同じように知りたかった人間がしていた仕事だと思うと、何だかいとしくて懐かしいような感じがするはずだ。

 今の学校のつまらない勉強も、そういう素晴らしい学問の世界の一端だと、そのはじっこの部分に触れているのだと、こう思って、今はこの先に期待しよう。学問の世界は、世界つまり自分そのものとして、本当に奥が深いものですよ。

でも、勉強的なものはやっぱり苦手だ。そういう人もいるだろう。体を動かしたり手先を動かしたり、そういう方がずっと面白い。それはそれで素晴らしいことだ。そういう人はきっと、学問よりもスポーツや芸術に才能があるんだろう。自分の好きな道を行くのが一番いい。でもどの道に行くのでも、それを本当に「知る」ためには、自分で考えて自分のものにすること、それは同じだとわかるよね。                              (おわり)

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