経験談

自治をめざすクラスづくり(103)勉強について考える⑩【いまこそ学校に希望を162】

勉強について考える(10)

中学校で九つの教科がおかれているわけ

 むかしから、読み書きそろばんといえば、日常に欠かせない、また、他のすべての勉強の土台にもなる、基礎中の基礎学力といわれてきた。国語や数学は、まずなによりも、その力を身につけるための教科であることは、いうまでもない。

 人が、ものごとを理解したり、考えたり、伝え合ったりするのは、すべて、ことばを通じてなされる。ことばの力は、すべての勉強の基盤、知的能力の中核ともいわれている。国語の勉強の中心は、そのことばや文字を、豊かに身につけ、使いこなせるようにすることだが、その材料として読む文学作品や論説から、ものの見方、考え方などを学んだり、書くことをとおして自分自身の考えをまとめていくことも、大切な勉強である。

 また、数や量としてものごとを処理することが、日常生活でどんなに必要なことかは、だれでも知っている。数学の入り口には四則計算があり、早く正確にできるように習熟しなければならないが、そこから発展して、とても深く広い世界がひろがっている。すじみちにかなった、いわゆる科学的な、ものの考え方を身につけていくのに、たいへん役に立つ教科だ。

 人間は自然と社会の中で生活している。そして人間自身が自然の一部でもあるし、社会を構成するのも人間だ。だから、その自然と社会について、正しく知らねばならない。自然について人間が知り得たことを整理したのが自然科学、社会についてのものは社会科だが、理科と社会科は。それぞれその基本的な部分を学ぶ教科だといえるだろう。

 さらに現代の生活では、世界を見わたす視野が要求されることが多い。。文化は、ことばによってになわれている。世界で最も広く使われている外国語である英語を学ぶことは、外国の文化を理解し、国をこえて世界中の人びとと手をつなぐための、最初のとびらの鍵を手に入れるようなものだ。そして、外国語を知ることは、日本語をよりよく知ることになる。日本語で表現される感じ方や考え方の特徴は外国のそれとてらしあわせるとよくわかる。

 人間のつくり出した文化の中で、科学とならんで、芸術という分野がある。「美」を発見し、創造することによって、日常生活に埋没しがちな感性を解放し,個性的、人間的な生きようとする要求にこたえていくのがこの分野だといっていいだろう。音楽科、美術科は、きみたちをそういう世界にみちびき、美を感得し、創造する力をつけて、豊かな人間性をつくろうとする。

 技術・家庭科については、その教科の役割、内容、学習形態にいろいろな面で、さらに検討されなければならない問題が多い。しかし、現在の学校での勉強を、もっと実生活や生産労働を結びつけなくてはならないことはたしかであり、そのかなめとなる教科として重要な意味をもっている。

 保健体育が、じょうぶなからだ、よく動くからだをつくる教科であることは、誰でも知っている。すべての人間の行動の土台にはからだがある。いのちはからだに宿っている。「文化としてのからだ」ということばがあるように、からだがつくられるのは、根本的には毎日の生活そのものの中でだから、そのありかた全体に目をくばりながら、とくに学校で集団的活動の中で、運動やスポーツなどを通じてからだをきたえ、からだをつくっていこうとしているのだ。むろん自覚的・自律的なものにするために、からだについての科学的な認識を深めていくことも必要となる。

 いわゆる教科外活動は、きみたちが、集団と個人の関係について学び、民主主義的な行動の仕方を身につけていけるように、また、目の前にあるいくつかの道の中からどれを選ぶべきかを判断し、さらに、その選択にしたがって実践する力を自分のものにしていけるように、いろいろな場面が設定される。

 きみたちが勉強するのは、社会でよく生きることができるようになるための準備をしているのだが、大きくとらえれば、人間が長い歴史をかけてつくり上げてきた文化を受けつぐことだ。人類は、代々それを受けつぎながら発展させて、次代にひきわたしてきた。受けつぐべき文化のなかみには、知識や技術もあり、能力もある。そして、それは、歴史とともにふくらんでいく。9教科をはじめとする学校での学習内容は、それが整理され、系統だてられ、勉強しやすく、わかりやすく組み立てられたものでなければならないはずだ。

 現実には、学校教育には、いろいろな力がはたらいて、内容がゆがめられていることもあるし、先生たちも人間だから、完全にはほどとおい授業しかできないけれど、もっと勉強してわかりやすく教え、君たちのために、よき文化の伝達者でありたいと努力している。

 どの教科にも、人類がきずきあげてきた、すばらしい知恵がギッシリつまっている。勉強とは、こういう宝ものをわがものとし、知らなかったことを知り、わからなかったことがわかるようになり、できなかったことができるようになることだから、こんなすばらしいことはないはずなのだ。

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