教育の目的 (1)
幸せな人生とは…
誰だって、自分の人生を幸せなものにしたいと思うだろう。
教師は、どの子も幸せになってほしいと思って、毎日教室へ行き、学級づくり、授業に取り組む。
その前提として、一人ひとりの子どもが、個人として尊重されなければならない。
もし、「おまえは、こう生きろ」と強制されたら、こんな不幸なことはないだろう。
しかし、つい最近まで、二つの意味で、自分の人生を自分で決められない社会だった。
一つは、家制度の法体系がつくられ、家業を継ぐことが当然とされ、結婚相手も親に決められることがあった。
妻は夫の家に入るものとされた。
夫の姓を名乗るのが当然とされたことは、周知の事実である。
家制度の爪痕がいまだに残っているのである。

もう一つは、ほとんどの子どもが小学校だけの教育しか受けられず、しかも、家制度と軍国主義の教育が擦り込まれた。
幼いうちから、真理・真実を学ぶ道がふさがれていた。
どんな人生を歩むにしても、自分で選択し決められなければ、幸福とはいえない。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する権利については、……最大の尊重を必要とする」(日本国憲法第13条)
教育基本法では、教育の目的を次のように定めている。
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」(教育基本法第1条)
1947年教育基本法でも次のように定めた。
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値 をたっとび、勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」(1947年教育基本法第1条)
人格…「自律的意思を有し、自己決定的であるところの個人」(広辞苑)

一人ひとりの子に、自分の生き方を自分で選択し決められる力を育てることが、教育の仕事ではないだろうか。
それが、「人格の完成を目指す」ということだろう。
その力とは、どんな力なのだろう。
(つづく)
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