教育情勢

道徳教育について考える(1)【今こそ学校に希望を210】

道徳教育について考える(1)

道徳教育とは… 

「道徳」は、戦前は「修身」といわれました。
子どもたちを戦争に駆り立てた、戦前の国家主義教育・軍国主義教育の反省から、戦後、「道徳」そのものが廃止されました。

正しい意味での道徳は、学校における子どもたちの日常の生活のなかに題材があり、学級や学年、全校の民主的な集団づくりの中に位置づけられるからです。

「修身」復活を狙う自民党政権が教育課程のなかに「道徳」の時間を組み込んだのが1958年(「特設道徳」)。

そして、安倍政権によって「道徳」が教科化され、2018年度から実施されました。
戦前の「教育勅語」にもとづく国家主義教育、「愛国心教育」の復活を狙ったものです。

「修身」復活を狙っていた右派勢力にとって、「道徳の教科化」は悲願だったわけです。

怖いのは、「道徳」の教科書が配られ、その文部科学省検定済みの教科書が使われ、毎週「道徳」の授業が行われることが、当たり前になっていくことです。

いま私は、非正規の教員として、S市の中学校に勤めていますが、5月だったでしょうか、新任の先生が「道徳」の研究授業を行うということで、教頭から全教員に「道徳の授業をする際に心掛けていること、工夫していること、気をつけていること、疑問、困っていることなど」を書くように要請がありました。

私は、次のように書きました。

憲法と子どもの権利条約にもとづいて、民主的な市民道徳を身につけるためには、たとえば、次のような項目が必要となるのではないでしょうか。

  • 個人の尊厳、一人ひとりの人格と人権を尊重する。
  • 家族、隣人、友人にたいしてあたたかい愛情・思いやりをもって接する。
  • いじめや暴力を許さず、協力し合い助け合う人間関係を築く。
  • 自然や社会についての正しい知識・認識を学び、真実を追究し正義を貫く自立の力を育てる。
  • 様々な考え方、多様な価値観を認め、学び合う姿勢を育てる。
  • 男女同権・ジェンダー平等を築き、女性差別をなくす立場に立つ。また、障碍者、性的マイノリティーへの理解を深め、差別を許さない立場に立つ。
  • 侵略戦争に断固反対し、他国・他民族への偏見や差別を許さず、平和な国家と世界をつくることに貢献する。
  • 民主主義のルールを学び、どんな問題にたいしても話し合いで解決する力を育てる。
  • 人間らしい質の高い文化・芸術に触れ、創造する力を育て、豊かな感性を磨く。

道徳教育とは、教育そのものであり、各教科の学習、学級・学年・全校集団づくりの課題でもあります。
ですから本来、道徳教育という特別な分野があるのではなく、日常の教育活動の中で取り組むべきだと思います。
毎日毎日が道徳教育の場であると考えます。

「特設道徳」として行う場合も、学級集団の状況と課題を見据えて、多様なテーマの選択と方法が可能であり、柔軟に取り組んでいく必要があると考えます。

私の前任校では、「道徳」の時間に、クラスで話し合いをしたことが多かったですし、ビデオを見たこともありますし、本を読んだこともありますし、合唱練習をしたこともあります。
みんなで力(声)を合わせて質の高い合唱をつくるなんて、何と道徳的でしょう。

いずれにしても、子どもたちが自分事にする必要があります。
教材は、日常の学校生活の中に無数に転がっていると思います。

私は、「道徳」というより、「哲学」が必要ではないかと考えています。
アイルランド映画「ぼくたちの哲学教室」のように。(この映画は必見だと思います)

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