学校をどう変えるか(11)
M中の場合①
不思議な学校
私は、昨年から会計年度任用職員としてS市に雇われ、M中学校に社会科の教員として勤務しています。
正確に言うと、「教員」ではなく「学力向上支援員」というのだそうです。
社会科の授業だけ受け持ち、校務分掌など他の仕事は一切ないという契約です。
とは言っても、学校というところは〝授業だけ〟と割り切れるものではありません。
私は、以前いた2つの中学校しか現場の経験はありません。
また、全国生活指導研究会、歴史教育協議会、進路指導研究会などの民間教育研究団体の研究会に参加して、全国の小中高校の実践から学ぶことがありました。
このN県の中学校でどんな教育実践が行われているのかいうことにも関心がありましたので、引き受けることにしました。
引き受けてよかったと思っています。
なぜかというと、第一に、子どもたちが、落ち着いていて素直で、気持ちよく授業ができます。
どこの子どもも同じだなと思います。
ただ、あとで述べるつもりですが、M中の子どもたちは、私には異様に思われたことがあるのです。
第二に、このM中学校が、私の経験知の枠には納まりきらない、私にとっては大変不思議な学校で、様々なことを考え直し、学び直すきっかけになったことです。
不思議・その1
M中は、各学年2クラス、全校で6クラス。
特別支援学級が3クラスあります。
今年度、私は2学年に配属されました。
4月、年度の初めに学年会が行われ、今年度「こんな方針で教育活動を進めていきたい」と学年主任がプリントを用意してくださり、提案されました。
子どもを中心にして、「自主的、自治的な学年にしたい」と述べられました。
プリントにもそう書いてあります。
それは、私の考えていることと完全に一致することで、頼もしく思いました。
学年主任の先生は、人当たりもよく、真面目で、仕事をきちんとやっていかれる方で信頼感もあります。
(1学年で配られたプリントも拝見しましたが、やはり「自主的」という言葉が掲げられていました)
自主的な学級・学年にしていくには、そのためのシステムをつくらなければなりません。
このブログでも述べてきたように、子どもたちが自主的な学級や学年をつくっていくためには、班という小集団とリーダー(学級委員と班長)と討議(学級委員会+合同班長会)が不可欠です。
(私が以前勤めたA中やS中では、学年主任が「自主的」という方針をもっていないこともあり、その時は私が補強意見を述べ、入れてもらうようにしました。「自主的」という方針に反対する人はいません)
学級委員(S中では「中央委員」とよばれました)は、学級の代表であり、学級委員会は議決権があり、他の委員とは別格です。
学年行事(遠足、キャンプ、修学旅行など)は、学年の学級委員会または、合同(拡大)班長会(学級委員+班長)に原案が提案され、学級討議を経て、合同(拡大)班長会で決定されます。
学級討議で質問が出され、修正案が出されることもあります。
修正案が出されると、合同班長会でその修正案についても討議します。
討議が終わると、まず修正案について採決し、その後、原案について採決します。
自主的・自治的にするには、こういう民主主義のシステムも教えなければなりません。

当面大きな行事がない時にも、度々学年の学級委員会を開きました。
学級委員会や合同班長会の主たる活動の場は、授業を中心とした日常活動だからです。
今の学級の状況はどうなのか、何が課題なのかを明らかにし、取り組むことを決定し、その目標を決めるためです。
A中やS中では、「チャイムが鳴ったら席に着こう(チャイム席)運動」や私語をなくす運動、学習運動等に取り組みました。
M中では、学級委員というポストはありません、数々の委員会の中に(委員会の問題については別に取り上げるつもりです)「代議員会」というのがあります。
これぞ学級委員会にあたるものです。
「代議員」と呼ぶ方がその役割をずばり言っています。
M中にはカリキュラムの中に「生徒会」の時間というのがあります。
はじめ、これはスゴいと思いました。
「生徒会」はまさに学校を生徒が主人公になってつくっていく組織です。
その「生徒会」の時間が毎週のようにあるなんて画期的だと思いました。
ところが、「生徒会」の時間に各委員会が開かれるようなのですが、何を話し合い、何を決め、何に取り組んでいるのかがさっぱり見えないのです。
代議員は、クラスの代表ですから、他の委員とは別格で議決権があるはずです。
代議員会で何を討議し何を決め、学級や学年、全校で何に取り組むのか、全く見えないのです。
どうやら、代議員会は他の委員会と同レベルの委員会のようなのです。
自主的な活動が全く見えないのです。

学校では授業をはじめとする毎日の活動の場は、学級です。
学級の活動が自主的・自治的活動の主戦場のはずですが、それが全く見えないのです。
「自主・自治」の旗を掲げながら、いや最初の学年会で紙に書いてあっただけで、自主的・自治的活動は全く見えないのです。
M中にも「朝の会」「帰りの会」の時間があります。
学級担任がお休みで、代わりに帰りの会に行きました。
リーダーらしい子が出てきて、「帰りの会を始めます」と。
しかし、連絡だけで、5分もかからずに終わってしましました。
自主的活動のかけらも見えませんでした。このクラスは、担任が学年当初、「自主的、自治」と述べていた学年主任の先生です。
あれ? 「自主」「自治」はどこへ行った?

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