学校をどう変えるか(13)
M中の不思議・その3 音楽会
M中の文化祭を見学に行きました。私にとっては、とても不思議な体験でした。
それが、子どもたちやM中の先生方には、どうやら不思議などとは感じておられないような気がして、それがまた不思議なのです。
2日目の、おそらく「これがメインイベントなのだろう」と思われるのが、〝音楽会〟。
1時間以上かけて行われるので、そうでしょう。
全クラスが発表するクラス合唱と学年合唱、それに〝全校合唱〟。
大変楽しみにしていました。
まずクラス合唱。
各クラスが、そこそこの合唱を披露してくれました。
伝わってきたのは、どのクラスも、子どもたちの「いい歌声をつくりたい」という気持ち。
子どもたちは本当に健気です。

ごく少数ですが、からだを揺らしながら、いい合唱をつくりたいという気持ちを表している子もいます。
そして、おそらく無意識なのでしょうが、多くの子どもたちが、なんとかしてより良い合唱をつくりたいという気持ちをもっていることを感じさせてくれました。
ところが、どのクラスも、いい合唱をつくりあげるところまで達していません。
不完全燃焼は否めません。
各クラスの合唱と学年合唱の前に、コメントが発表されました。
「たくさん練習を積み重ねてきました」と。
私は、およそ一カ月間の練習状況を見てきましたが、耳を疑いました。
「たくさん練習を積み重ねてきた」などと言える状況ではありませんでした。
私は2学年所属なので、「2年生の学年合唱の指導をしましょう」と申し出たのですが、9月10日前だったでしょうか、その1回だけでした。
クラス合唱は、9月10日の「中間発表会」の後、2年2組の担任の先生から頼まれて指導した1回だけでした。
毎日のように練習時間はあるのですが、朝10分間、帰り10分間で、曲を区切って「きょうは、この部分を練習しよう」という練習をする時間が取れません。
1回通して歌って、もう1回通して歌って、終わり!の繰り返しで、日々改善して、だんだんと仕上げていくというプロセスがないのです。
合唱は質の高い文化活動です。
発声のしかた、呼吸のしかた、ハーモニーをつくる、歌詞の言葉の表現、p~fのダイナミクス、テンポとリズム等々、さまざまな要素があります。
それを1回10分間の練習時間でつくっていくのは不可能だと思います。
前日も前々日も練習がありません。
「きょうはここまでできた」「きょうは、この部分ができるようになった」「次は、ここをやろう」…という、まさに練習の積み重ねがないのです。
さらに驚いたのは、ピアノ伴奏がないクラスがあったことです(アカペラの曲ではないのです)。
私が以前いた学校でも、伴奏がうまくできないクラスがありました。
夏休み前に決まった伴奏者です。
夏休みの終わりには一度弾かせてみて、練習状況を把握して、うまくできない場合には、どう対処するか考えました。
練習してなんとかなりそうなら、練習も見ながら励まして、弾けるようにします。
そうでなければ、代わりにできる子はいないか探すかして、なんとか伴奏を確保しました。
そうしないと、伴奏の子もかわいそうですし、クラスの子たちもかわいそうです。
場合によっては先生が伴奏してあげることだってありえます。
さて、M中に話しをもどしますと、2つのクラスが伴奏者がいなくて、なんとCDの伴奏なのです。
あり得ないことです。正直に言って、夏休みを含め2ヵ月ほどあったのに、どうしていたのでしょうか。
実は2年生の学年合唱の伴奏も、9月の初めの段階でピンチの状態でした。
「これでは、伴奏の子もできないままでかわいそう」「学年の子どもたちもかわいそう」と私は思い、ピアノを弾ける別な子に「学年合唱の曲を伴奏も練習してみませんか」と声をかけました。
(その子はクラス合唱の伴奏も引き受けていたのです) 快く「やってみます」と応えてくれました。
そして、当初の伴奏の子も「難しいので、だれか代わりにやってくれれば」と母親に話し、私が頼んだ子も「私が学年合唱の伴奏もやってもいい」と言ってくれて、うまく解決できたのです。

ピアノ伴奏がなくて、CDのピアノで歌うなんて、あり得ないことです。
あり得ないことが起こり、それを容認してしまう。
私には。子どもたちの心を踏み躙るものとしか見えません。
どんな困難があっても、それをみんなでフォローしあいながら、乗り越えていく。
それが集団をつくり高めていく意味ではないでしょうか。
私が学級担任なら、必死になって解決にあたるでしょう。
どうしても無理なら、初めからアカペラの曲を選ぶでしょう。(アカペラの合唱曲もたくさんあります)
完成には至らず、ある程度妥協したことも多くありました。
しかし、「ここまでは精一杯やった!」という達成感は不可欠です。
そこから、感動が生まれ、子どもたちに感性を育てることができますから。
「よくやった!」
「でもね。きみたちの力はそんなものじゃない!」
「もっともっとできるはずだ!」
子どもたちの力を見抜き、
「もっと!」とハッパをかける。
子どもたちを本当に信頼するって、そういうことも必要ではないでしょうか。

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