経験談

学校をどう変えるか(19)【いまこそ学校に希望を236】

学校をどう変えるか(19)

教師として学ぶこと

子どもの人格の完成が教育の目的であり、これをもう少し具体的に言えば、子どもたち一人ひとりが理性と知性と感性を育て自立の力を身につけることであり、それは授業、行事など学校のすべての活動を通して学級・学年・全校の集団の中でこそできることである。こう私は考えています。 

読者の中で、これに異論があれば、おおいに寄せてもらいたい。
おおいに議論し、考えを深めたいと思います。

人間は自分自身の経験知から物事を考える傾向が強いと思います。
自分自身の自戒の念も込めて言いますと、教員は、思い込み・先入観・固定観念が強いのではないでしょうか。教育という仕事は、きわめて知的な仕事ですから猶更この傾向が強いのではないでしょうか。

だからこそ、異論が大事で、おおいに議論すべきだと述べてきたつもりですが……。

そこから抜け出せないために、学校が、教育が、なかなか変わっていかないのではないか、と
近ごろ考えています。

そこから抜け出すためには、自分の経験知を大切にしながらも、多角的にものごとを見て考えることが重要です。
教育とは、人を育てる仕事、人格の完成を目指す仕事ですから、教師自身の人格を育てなければなりません。
そういうおまえの人格はどうなのか?と問われれば、たいへん心許ないお返事しかできません。
よく教師は世間知らずだ、だから狭いところに閉じこもって、いい教育なぞできないのだ、と言われることもあります。
それを解決するには、理想的には、「だったら、日本中、世界中に行って、人々の生活や文化を学んでくるのがいい」ということになります。
しかし、それは実際不可能です。

私は、社会科の教師で、日本の地理も世界の地理も、日本の歴史も世界の歴史も教えます。
国内は、時間とお金のある限りで何か所かには行って学んできましたが、それでも不十分で、「あそこも行きたい、あそこも行きたい」という所をたくさん残したままです。
外国には一度も行かず仕舞いです。それで、世界の地理や歴史を教えるのですから、無責任にも程があるというものです。

子どもたちには「先生は、行ったことがないんだけど」と釈明したこと数知れません。
そういう研修の制度はありません。
夏休みを利用して、自費で旅行すればいいのでしょうが、部活もあるし、夏休みでもやる仕事はたくさんあります。
…と、また釈明。

その代わり、というわけでもありませんが、教師自身がよく本を読んで、あるいはいい映画や演劇をみて、勉強しなければなりません。

国内でも子どもを本当に主役にしてユニークな実践を行っている学校もあります。
諸外国でも、学ぶべき実践をしている学校があります。
どの子も育つようなシステムをつくりあげている国もあります。

幸い、教育の現状の問題点を調査研究分析し提言する、日本の教育学は、たいへん優れたレベルにあると思います。

教師自身が、おおいに本を読むべきです。
そういう私も、読むべき本を買いながら、積ん読状態です。教室(学校)は世の中の縮図です。
いま日本の社会がどうなっているのか、知らなければなりません。
戦後80年、日本の教育がどう変わり、どんな状況なのか、教育学の成果から学ばなければなりません。

自分が教える教科に関する学問や芸術、教育学、社会学、心理学…。
教育学はもちろん大事ですが、私はとくに哲学が重要だと思っています。

でも、時間が…。

日本の教員の多忙化は、異常です。
それは、教育の場に市場原理を持ち込み、効率化と競争、序列化を強力に進めている新自由主義教育が大本ですが、同時に、教員に学ぶことをさせず、考えることをさせない、批判することをさせないためではないかと思います。

私が以前からやってきたことは、子どもの育ちに資するものはやる、子どもの育ちにつながらないと思うことは極力やらない、ということです。
(出世はできないでしょうが…。私にとって〝出世〟は、子どもを育て、学校を変えるのにほとんど価値を見出せないものでした)

なんとか本を読む時間を生み出したいものです。
そして、夢を語り合い、おおいに議論しましょう。
そして、思い込み、先入観から自分を解放しましょう。

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