経験談

学校をどう変えるか(23)【いまこそ学校に希望を240】

学校をどう変えるか(23) 

学校の言葉④

「朝の会」「帰りの会」  

どこの学校でも、「朝の会」と「帰りの会」があるようです。
私もずっとやってきました。

ところで「会」とは何か?

会:(広辞苑)

  1. 人々が集まってする行事。つどい。
    人々が集まって作る団体組織。グループ。
    であいのとき。めぐりあわせ。折。人々が集まって作る団体組織、グループ。
  2. であいのとき。めぐりあわせ、折。

会:(明鏡国語辞典)

  1. 多くの人がある目的をもって集まること。また、その集まり。
  2. 目的を同じくする人が組織する団体。

会:(新明解国語辞典)

  1. 人とあう。出あう。「会見・会合・会戦。面会・再会。集会」
  2. ぴったりする。「会心」 
  3. さとる。「理会」

「朝の会」「帰りの会」の「会」は、それぞれの辞典の①の意味に違いありません。

「朝の会」は、一日ぶりに、あるいは二日・三日ぶりに再開し、学び合いをスタートする時の集まり・会合でしょう。まずやることは、「きょうの出席状況」「きょうの予定」を確認しあうこと。

次に、自分たちの学級集団の活動方針・取り組んでいることがあれば、「きょうは、何に取り組んでいくのか」を共通認識にしていくことでしょう。

例えば、〝どの教科の授業にも、私語をなくして集中しよう!〟ということが学級の目標で、前日の「帰りの会」で、3班が私語が多いことが問題になり、3班は「班長が注意して、私語をなくす」と答弁していたとすれば、その決意のほどを確認したいところです。

また、例えば合唱祭に向け練習に取り組んでいる期間であれば、合唱委員から「きょうは、自由曲のパート練習をします。
○時〇〇分には練習を始められるようにしてください。
各パートリーダーの指示に従って練習を進めてください」などと指示します。

わずか5分か10分の時間でしょうが、クラスの自治的活動を進めていく、大切な時間になります。

「帰りの会」は、授業を中心とした日常の活動を日々総括し、行事の取り組みの進行状況を確かめ合い、次の日の目標を決めていく、そのための話し合いをする重要な時間になります。

学級づくりのところで述べた通り、帰りの会で、班会議―学級討議の二重討議を行い、要求を出し合っていくことは、学級づくりに欠かせないものです。

ところで、先日、学級担任の先生が出張でいらっしゃらないということで、そのクラスの帰りの会へ行きました。
帰りの会がどのように運営されるのか、私はただ黙って見ていました。

司会らしき生徒が前に出てきました。

自分たちで帰りの会を進めるようにしているのだな、これはすばらしいと思って見ていました。

司会の子が、「帰りの会やるから、座って!」と声をかけます。

「明日の連絡、してください」

「1時間目!」

明日の1時間目の教科の係の子が「国語、持ち物はいつも通り、宿題があります」

以下同様に「2時間目」… 「3時間目」… 「4時間目」…

「先生から、お願いします」

私は、子どもたちのよい所を褒め、励ますという立場から

「〇組は、落ち着いていて、授業にもよく集中していて素晴らしいと思います。帰りの会も、自分たち進められて、いいですね」

司会の子が

「ありがとうございました」

「帰りの会を終わります。さようなら」

職員室に戻りながら考えました。

この「帰りの会」は「会」なのか? と。

「会」なら、学び合う関係を築くという目標をもった集団の、毎日の欠かせない会合ではないのだろうか? 

学級集団の中で、学習の面で、あるいは人間関係の面で、あるいはクラスでいま取り組んでいる課題の面で、なにも話し合うことはないのだろうか?

これでは、帰りの会ではなく、帰りの連絡ではないか?

朝の会、帰りの会が、会の実体が無きものになってしまっていないでしょうか?

それとも、実態に合わせて、「朝の連絡」「帰りの連絡」にしますか?

そうすると、「子どもが主人公」の自主的・自治的な学級づくり・学校づくりから遠ざかっていくのは間違いないでしょう。

5分か10分の時間ですが、毎日のことなので、「朝の会」「帰りの会」の意味するものは非常に大きいのです。いや、学級づくりのとっては、決定的と言っていいほど大きいと思います。

「会」の一文字ですが、言葉って大事だな、と思います。

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