学校をどう変えるか(24)
学校の言葉⑤
「学級経営」
私はずっと「学級づくり」「全校づくり」と言ってきましたが、時折「学級経営」「学校経営」という言い方も聞こえてきました。
私は、この「学級経営」「学校経営」という言葉に当初から違和感を持っていました。

経営:(明鏡国語辞典)
- 利益があがるように、会社・商店などを運営すること。
- おおもとの方針を定めて、物事を行うこと。
経営:(広辞苑)
- 力を尽くして物事を営むこと。工夫を尽くして建物などを造ること。
- あれこれと世話や準備をすること。忙しく奔走すること。
- 継続的・計画的に事業を遂行すること。会社・商業など経済的活動を運営すること。また、そのための組織。
経営:(新明解国語辞典)
- 〔縄張りをして建築の基礎を定める意〕規模・方針などを定めて、(経済的にうまくいくように)事業を行なうこと。また、その組織。
広辞苑では、①②の用例は、平家物語や今昔物語をあげています。
新明解でも建築を語源として説明しています。
しかし、違和感を持つのは、現代においてはもっぱら、「会社経営」「企業経営」「商店の経営」「経営不振」「経営がうまくいっている」…など、ほとんど経済用語として使われているからでしょう。(明鏡① 広辞苑③ 新明解)
そして、日本で新自由主義教育が導入されて40年。
教育に、市場原理が持ち込まれ、この言葉が使われるようになったからでしょう。
「利益を上げるため」とか、「経営がうまい」とか、「競争に勝つ」という言葉は、教育の場に最もなじまない、そぐわないものではないでしょうか。
学級は、経営するものなのでしょうか。
会社や商店の経営では、「ことし、経営がうまくいくかどうか」「黒字を出せるか、赤字にならないか」が最大の問題になるでしょう。
商売気なく「儲からなくてもいい」という人でも「赤字にはならないように」とは考えます。
負債をかかえ、倒産するのは避けなければなりませんから。
経営は、うまくいくかどうか、利益を上げられるかどうかが問題になります。
学級経営がうまくいくとは、どういうことなのでしょうか。
私にはよくわかりませんが、あえて言えば、問題なく表面上落ち着いて授業も日常生活もそつなくやっていて、運動会や合唱コンクールで優勝でもすれば〝サイコー〟となるのでしょう。
会社経営では、〝会社〟という組織が問題になります。
学級経営では、〝学級〟という組織が問題になるでしょう。
学級がうまくいっているかどうか?
〝学級経営〟〝学校経営〟という言葉には、うまくいっているかどうか、という新自由主義の〝成果主義〟の臭いを感じます。
教育で最も重要なことは、学級のなかの一人ひとりの子どもが人として育っているかどうかです。
一人ひとりの子どもが育つために、子ども一人ひとりの意見が尊重され、自分たちで話し合って共同の関係を築き、失敗も重ねながら、学び合い育ちあっていく、学級をそういう組織にしていくことではないでしょうか。
それが学級づくりです。
ですから、学級づくりは、そうかんたんにうまくいくものではない。
むしろ、うまくいかないことが大事だといっても過言ではありません。

学級は、二十数人~三十数人の子どもの関わり合いですから、毎日のように問題が起こります。
うまくいくはずがないんです。
クラスの仕事、授業、行事…、みんなで話し合い、みんなで取り組み、共同の関係を築いていく、
その過程で一人ひとりが育っていく。
それが、学級づくりです。「学級経営」という言葉からは、こういう夢は語れないのではないでしょうか。
この国の企業経営をめぐって、低賃金長時間労働、セクハラ、パワハラ、ジェンダー不平等などの問題が横行しています。学校でもそうです。
新自由主義は、学校に市場原理を導入し、本来の公教育を崩壊させようという動きですが、学校で本来の人間教育を取り戻し、その教育の論理を企業経営にも生かしていくという逆の流れこそ必要なのでないでしょうか。
そういう取り組みが、とくに中小企業の中に生まれてきているは貴重です。

コメント