新しい年に(2)
新自由主義教育の軛から教職員と子どもたちを解放し、
真に子どもたちが育つ学校をつくっていくために②
なんだ、これは?(2)
M中学校で、私が30数年の教員生活で経験したことがないような、「アレ?」と、不思議に思うことが次々に出てきました。
前回(250)は、「無言入場」「無言退場」について述べました。
不思議に思ったことの、一つひとつについて分析、考察することは後にして、今回は、その事実を羅列しておくことにします。
以前に取り上げたことも出てくると思いますが、重複をお許しください。

- 無言入場、無言退
- 黙想~無言清掃
- 校歌合唱
- 文化祭でのクラス合唱・学年合唱とその練習
- 卒業式
- 朝の会と帰りの会
- 生徒会の委員会、委員長と副委員長の決め方
- 生徒会の組織のあり方
- 生徒会本部役員の組織について
- 修学旅行などの行事の実施計画の立てかた(決め方)
- 適性検査
- QU
- 3年生の定期テスト「総合テスト」
- 各教科の練習問題集
- 業者テスト(学力検査)
- いじめ問題への対応
- 「学びの共同体」の取り組み
- 校則
- 職員会議
- 数々の外部講師による講演会
- 学級づくり
- タブレットの多用
- その他(あるかもしれません)
たくさん羅列してしまいました。
はじめは、これらの現象が出てくる度に、「なんだ、これは?」「こんなこともあるんだ!」「これも不思議だ!」…と、感心していました。
2年目になって、これらの現象(事柄)に、貫かれているものが見えてきました。
結論からいうと、学校全体が、効率、マニュアル化、市場原理の導入、点数主義、競争主義を特徴とする、新自由主義教育と、徹底した(しかも一見ソフトな)管理主義に覆われていると、私は見ています。
しかも、問題を難しくしているのは、教員たちがよくまとまっていて、全く悪意がなく、善かれと思ってやっておられることです。
全く疑問をもつことなく。

私自身、最近になっても、まだまだ先入観・思い込みに縛られているなあと感じることが多く、例えば授業についても「本当にこれでいいのか?」「この認識は間違っていないか?」と自問自答する毎日です。
思い込みと馴れは、本当に恐いと思います。
新自由主義に侵されているという、私の認識が間違っていなければ、この事態を放っておくと、鈴木大裕氏が警鐘を鳴らしている、公教育の崩壊の道を突き進むことになります。
公教育の役割は、全ての子どもを「人格の完成」を目的として、人間らしく育てることですが、子どもたちの中に分断が持ち込まれ、不登校やいじめ問題は減らず、学力格差は縮まらない、という状況に陥るのではないかと懸念されます。
いま、日本の教育が大きな岐路に立たされていると思うのですが、M中学校がその真っ只中にいりような気がしてならないのです。
新しい年に、新自由主義教育に抗して、M中学校にまっとうな教育を取り戻せるか、茨の道に踏み出さなければなりません。

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