経験談

いじめ問題にどう取り組むか④【いまこそ学校に希望を257】

いじめ問題にどう取り組むか④

いじめ問題は、学級づくりを見直すチャンス

私が勤めている学校では、同じクラスの子の机の中に「死ね!」というメモを入れるという事案が起こりました。
いじめは、人の身体や心を傷つける行為です。
個人の尊厳を傷つける人権問題です。
狭い教室で、30~40人ほどの人間関係の中で起こったことです。
知っている子が必ずいるものです。
私の経験でもそうでした。

加害者Xと近しい関係にある子にとっては他人事ではありません。
もしかしたら共犯者的役割を演じていた子がいたかもしれません。
被害者Yと近しい関係にある子にとっても他人事ではありません。

YがXから嫌われている、Yが周囲から疎まれているなどということは、少なからずクラスの子が気づいているはずです。
そうでなくても、同じクラスの中で起こったことに〝無関心〟を決め込むことは許されません。
人権問題が起こったのですから。

学級は、共に生活し共に学ぶ集団です。
共に生活し共に学ぶ関係を築かなければならない集団の中で、人を差別し傷つけ、差別され傷つけられる人権侵害事件は起こったのです。

問題は、XとYの関係だけではないのです。
もちろん初めは、XとYから話を聞き、事実を明らかにし、Yに寄り添い、Xを諭し反省させなければなりません。
それだけで終わる問題ではありません。

学級の中に、いじめを許す(黙認する)空気があったのではないか?
学級の中に助け合い励まし合い学び合う関係を築かなければならないのに、差別的な関係ができていたのです。
学級担任としては、失敗です。
深刻に受け止めなければなりません。
しかし、重大事態に至る前に気づいてよかったとも言えます。
自分の学級づくりを見直し、改善していくチャンスです。

警察は、いじめ行為の事実を明らかにし、事件の加害者と被害者を特定し、加害者に、謝罪させるなどの処分を下すのが目的です。

メディアで報道されるのは、ほとんど重大事態に発展してしまった事件ですから、警察的な取り上げ方です。
被害者側の心情が語られ、「二度と起こらないように!」と願いが語られます。

教育は関係づくり! ~教育の場としての学校~

いじめは必ず、学級・学年・部活などの集団の中で起こります。
繰り返しますが、いじめは関係づくりの問題です。
〝対症療法〟としての個別的対応と、より根本的な課題として集団の中の子ども同士の関係づくりの問題として取り組まれなければなりません。

ところが、私がいま勤めている学校では、いじめが起こると、専ら加害者と被害者とだけの個別的対応に終始しています。

いじめが起こってしまったら、差別的な人間関係を、だれもが大切にされる対等平等な民主的な関係に変えていくチャンスなのに、そういう動きは全く見られません。

教育は関係づくりです。

学校が教育の場になっていないのではないでしょうか。

ですから、「過去最多」になっているのではないでしょうか。

タイトルに「いじめ問題は、学級づくりを見直すチャンス」と書きましたが、私が勤めている学校に限っていえば、「学級づくりをするチャンス」と言った方がいいかもしれません。
私が見る限り、学級づくりが行われていません。
ですから、いじめは繰り返し起こります。

私が勤めている学校だけではないような気がします。
「個別最適化」などと言って、国・文科省が学級解体への動き、公教育解体への動きを強めています。
それが新自由主義教育の末路です。

                                  (つづく)

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