いじめ問題にどう取り組むか⑤
教育の問題として ~「加害者」も被害者~
いじめが起こり、警察的な対応をするならば、被害者Yへのケアを行い、加害者Xにたいしてその〝罪〟について十分説諭し、反省を促し、Yへ謝罪し、今後繰り返さないように約束する。
こんな結末、解決になるのでしょう。
しかし、学校として、教師としては、上記の「解決」に加え、教育的な「解決」が求められます。
とくに、〝加害者〟であるXこそ、効率、競争、市場原理が持ち込まれた新自由主義教育の被害者なのではないか、と思うのです。
そして、XやYが所属している学級という集団が、学級に所属する全ての子を、個人として尊重し、人権を守る集団に育っていたのか、という問題があるでしょう。
「いちばん大切なことは何か?」普段から学級で起こったことについて、何でも出し合い、話し合いができる集団に育っていれば、いじめは未然に防げたかもしれません。
私が30年ほど前に担任した、あの2年7組も毎日話し合いの時間を設けていましたが、3学期の2月までいじめを防ぐことはできませんでした。

この、教育を取り巻く状況のなかで、先に述べたように、いじめは起こるものと観念した方がいいのではないかと、私は思っています。
普段から自治的な(民主的な)学級づくりに取り組んでいれば、重大事態になるのは防げるのはないかと思います。
学級の中の人間関係がどうなっているのか、どこに弱さがあったのか、分析しなおし、学級づくりをさらに進めていくチャンスにすることが肝要でしょう。
それが、学級で起こったことを他人事にしない、自分事にするということです。
質の高い人間らしい文化を築く ~文化の問題としてのいじめ問題~
いじめは、人の心とからだを傷つける行為です。
個人の尊厳、自由と平等の権利を侵す行為です、人間の退廃を示す行為と言ってもいいでしょう。
学校・学級をつくるということは、質の高い学問・文化・芸術に価値を置いた、人間らしい文化を築くことに他なりません。
いじめ問題を人間性を否定する〝退廃的な文化〟と呼ぶならば、いじめ問題に取り組むということは、これに対峙するホンモノの人間らしい文化を築くことに他なりません。

クラスみんなでいいものを創りあげることができれば、その共同の関係は、いじめ、いじめられる関係を駆逐する力になるでしょう。
私の経験では、学級・学年で質の高い合唱をつくりあげていく過程で、子ども同士の共同の関係が築かれ、それがいじめ問題を子どもたち自身で解決していく力になったという実感があります。(あの2年7組の取り組みもそうでした)。
中学校3年間、みんなで力を合わせ感動的な体育祭をつくっていった過程で、感動的なクラス合唱・学年合唱をつくりあげていった過程で、いじめや暴力は自然消滅していきました。
合唱と体育祭だけではありません。遠足、キャンプ、体育祭、合唱祭、3年生を送る会、そして卒業式など、すべての行事、日常生活を、共に学び合い、助け合い、励まし合う共同の関係を築くことにつなげていきました。
(終わり)

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