教育思想

子どもが主人公の学校に!(7)【いまこそ学校に希望を265】

子どもが主人公の学校に!(7)

「子どもが主人公」とは、どの子も個人として尊重される関係を築くこと

〝子どもが主人公の学校にする〟ということは、子どもたち一人ひとりを個人として尊重する、
一人ひとりが個人としてその心情や意見を出し合える関係を築き、その良い関係の下で協力し助け合って学校の様々な活動に取り組んでいく、ということです。門脇氏の言葉を借りれば、学校を「互恵的協働社会」にしていくということです。

多くの教育学の識者が、子どもは「集団の中でこそ育つ」と強調しているとおりです。
学校の中の集団は、学級・学年・全校、部活動などです。
それぞれの集団を、民主主義が貫かれている集団にしなければなりません。
民主主義とは、たとえ少数でも、たった一人でも、その個人の意見を尊重することです。
学級の中で、学年の中で、全校の中で、一人ひとりの、心情を吐露する権利、意見を表明する権利が保障され、それが尊重される関係が築かれるということです。

紆余曲折、悩み多き小中高時代です。過ち、失敗を繰り返しながら螺旋階段を一歩一歩上っていく発達途上の年代です。心の変化が激しく葛藤の多い年代です。「その気持ちはよくわかる」「それは間違っていると思う」…と、共感することも、また批判することも必要です。

  教育は、関係づくり
    学校は、関係づくりの場

学校は〝子どもが主人公!〟

それは、当たり前のことでしょうが、本当にそうなっているか、繰り返し繰り返し、検証していく必要があるのではないでしょうか。
毎日の授業が、共に助け合って学んでいく場になっているか?
毎日の学級の生活・活動が、活発に意見を出し合い、助け合って高め合っていく関係になっているか?
学年や全校の行事が、子どもたちが自分たちで議論して決めて、協力して取り組み、質の高い文化を築く場になっているか? (教師が決めて、その枠の中で活動する、委縮したものになっていないか?)

子どもが主人公の学校にするということは、子どもたち一人ひとりを個人として尊重する、民主的な学校づくりそのものだ、ということです。
それを目指さないかぎり、子どもたち一人ひとりの成長は困難なのではないでしょうか。
それを目指さないかぎり、教育格差、学力格差の問題は解決されないのではないでしょうか。

効率と競争、儲かる教育を進め、公教育の解体を狙う新自由主義教育が強権的に進められています。
戦争か平和かの重大な岐路に立っているこの国で、学校もまた戦争を後押ししてしまうのか、
それとも学校が平和を築く力になるのか? 子どもたちを再び戦場に送ってしまうのか、否か?
教育もまた、重大な岐路に立たされています。

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