憲法記念日にあたって
子どもたちを再び戦場に送らない!
憲法の基本原理を遵守してこそ㊥
いま我が国の学校で子どもたちにたいして、憲法で保障された民主主義の規範と諸権利がどれだけ守られているのか? 検証する必要があるのではないでしょうか。
子どもが主権者として本当に学校の主人公になっているのか?
数々の基本的人権の行使が本当に保障されているのか?
子どもは、権力(power)の前に最も弱い立場にあるだけに、細心の注意が必要ではないかと思うのです。
学校における民主主義
どれだけ意味があるのだろうか?と思われるような校則の数々。
子どもが主人公であるなら、子どもたちが話し合って決めたものでなければならないはずで、また、子どもたち自身が見直し変更可能でなければならないはずですが、どうでしょうか?

子どもが主人公であるということは、学校の運営に子どもたちが参加できるということでなければならないはずです。
〝子どもの主体性〟とか、〝自ら考え自ら行動〟という言葉は流行語のように言われるのですが、その実体はどうなのでしょうか。
学校では毎年、卒業生が学校を去り、新入生が加わっていくのですから、「今年はどうするのか?」という議論が起こって当然のはずですが、校則についてそういう議論はほとんど耳にしません。
校則だけではありません。
授業を中心とした日課や行事について、「今年はどうするか?」という子どもたちによる議論、子どもたちと職員との議論があってしかるべきではないでしょうか。
また、いわゆる〝生徒指導〟といわれる事柄についても、何かトラブルあったとき、少なくとも、全面的に職員が解決にあたるべき事項なのか、職員と子どもたち(生徒会)が共同で解決にあたるべきか、子どもたちの自治に託すべきか、という議論があってしかるべきではないでしょうか。
そして、できるだけ子どもたち自身で解決できる自治能力を日常的に育てていく必要があるのではないでしょうか。
いじめが重大事態になるのは、多くの場合、前兆的なトラブルが見過ごされ、しだいにエスカレートしていくものです。
日常的に起こる問題を子どもたちが日常的に話し合って解決できる力、そういう共同の関係を築いていくことが、教育の務めではないでしょうか。
ところがいま、そういう関係を築いていく、学級づくりがどれだけ行われているでしょうか。

〝例年どおり〟のしがらみからの解放を!
「校則を大幅に見直した」「校則を全廃した」「行事を大きく変えた」「通知表を廃止した」「テストを廃止した」…などという学校も稀にありますが、ほとんどの学校では〝例年どおり〟が常態化しています。
「例年どおりにしましょう」「例年どおりでいいですね」と。
「例年どおり」という言葉が発せられれば、まだいい方なのかもしれません。
「例年どおりではなく…」という選択肢もありますから。
「例年どおり」の言葉が一言もなく、例年どおりに行われていることも多いのではないでしょうか。
50年後も100年後もこのままなの? この校則が続いているの?と思ってしまいます。
憲法が保障している民主主義の規範にたいして、ことしはどれだけ達成したか?という自己検証こそ必要ではないでしょうか。

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