実践

民主的なクラスのつくりかた(2)

クラス(学級)づくりとは?㊦

問題のないクラスは、いいクラスか?

よく、「◇組は問題がなくていいクラスだ」と言い方をします。本当でしょうか?

「問題」とは、trouble(もめ事・いざこざ)やproblem(厄介事)を指すのでしょうか。
いずれにしろ、「問題」がなければ平穏無事、こんな楽なことはないでしょう。

そういうクラスも稀にありました。
子どもたちは素直でおとなしく、きちんとしています。

私は初任の頃、一度だけそういうクラスに出会いました。
担任のA先生も穏やかで人柄のいい方でした。
子どもたちをよく褒め、いざという時には厳しく叱る。
体育祭ではよく協力して、優勝しました。
私は初め、いいクラスだな!理想のクラスじゃないか!とさえ思いました。
私が生涯尊敬したY先生のクラスと一時ダブって見えました。

A先生のクラス(以下、A組)は、素直でおとなしいのですが、話し合いはほとんどしません。
朝の会も帰りの会も終わるのが早い。

Y先生のクラス(以下、Y組)は、よく話し合いをしています。
時々話し合いで、帰りの会が延びます。
Y先生は、「こんなことが起きちゃったよ」と笑いながら、揉め事が起きたことを楽しんでいるがごとく話します。

この違いは何か?
ほどなく見えてきました。

A先生のクラスは、体育祭で毎年のように優勝するのです。
体育祭は最大の行事。
それだけでA組の子どもたちは鼻が高い。
A先生は体育科、リレーなどの指導はプロなのです。
A先生がそれなりにリレーなどの指導をするのはわるいことではありません。
音楽の先生が合唱の指導はプロで、その先生のクラスが合唱祭で優勝するのは当然かもしれません。
A先生のクラスになると、子どもたちは「体育祭は優勝できるぞ」と思うようです。
それは、そういうものでしょう。
他のクラスが目標にすればいいことだと思いました。

それにしても、A先生のクラスが毎年のように優勝するのはなぜだろう?と思っていました。

私が勤務した学校では、毎年クラス替えが行われます。
そのクラス編成会議で、その正体が判明しました。
学習成績ができる限り均等になるように、前のクラスができる限り均等に分かれるように、クラス編成をやっていきます。
孤立しがちな子どもへの配慮もします。
私は教師に成り立てで、納得しながら会議に参加していました。
そして、クラス編成会議の終盤。
担任教師が、「このクラスがいい」と希望を言うのです。
「久永先生は?」と訊かれて、私は「どのクラスでもいいです」と。
それぞれ担任するクラスが決まり、終わりかなと思っていたら、それで終わりではなかったのです。
「相性があるから…」と、〝トレード〟が始まりました。
各担任が、気の合わない生徒を放出、気の合う生徒を集めます。
A先生は、気が合い、運動能力のある子を集めてしまいました。
私は、A先生のクラスが体育祭で優勝する訳をすっかり納得してしまいました。
「久永先生は?」と訊かれて、「このままでいいです」と。(数年後、私は意を決して「こんなことはやめましょう」と提案し、その後そういう私情を入れることはなくなりました)

問題は起こるもの。

問題を自分たちで解決し乗り越えていく力を!

30数名の子どもが集まれば、一人ひとり顔が違うように、性格も考え方も違います。

問題が起らないはずがないのです。
ケンカが起きたり、意見の不一致が起きたり、いじめが起ったりするのが当たり前ではないでしょうか。
まして、いじめ・差別大国といってもいいこの国で、子どもの社会だけいじめや差別がないということはないでしょう。 

〝問題がない〟のではなく、問題が見えないように封じ込められている、問題が顕在化しないように巧妙に管理されているということではないでしょうか。
これは、ある意味恐ろしいことです。

Y先生は、その問題を顕在化させ、子どもたち自身で問題解決に取り組んでいくクラスづくりに取り組んでいたのです。
Y組は、きちんとはしていない部分もありますが、子どもたちの活気があります。 

私は、Y先生の実践に魅力を感じ、これこそ教育の仕事ではないかと考えました。

Y先生はよく言いました。

「問題がない」と思う時は、問題がないのではなくて、問題が見えていないのではないか。
子どもたちの状況をよく分析して、問題を顕在化させることも必要だ。
班をつくり、係活動に取り組むのは、そのための仕掛けだと言ってもいい。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。