理論

民主的なクラスのつくりかた(18)

〝叱る〟か、〝怒(いか)る・怒(おこ)る〟か?

子ども(たち)を褒めることが何より大事です。子ども(たち)が行った言動で良かったことに「なんて素晴らしいんだろう!」と感動し、それを伝えるということです。〝褒める〟ことに特別、理論めいたものはないだろうと思います。様々な褒め方については、「実践編」で述べたとおりです。

敢えて言えば、子ども(たち)の良い所をたくさん見つけ、つくっていくこと、教師自身そういう琴線を育てることが大事だと思います。私自身、褒められることをどれだけ見落としてきただろうと思います。「あそこで、褒めることを見つけ、つくっていたら…」と悔やまれることが多々あります。

さて、子どもたちが見せてくれるのは、良い面だけではありません。悪いこと・誤(過)った言動も幾度となくあるでしょう。そういう場面が必ずきます。どうしますか?

ある人は、「そりゃあおこ怒るしかないでしょ!」と言います。

別な人は、「叱らなくちゃ!」と言います。

例えば、いじめや暴力を行った場合、叱るか?怒るか?

ふざけあって相手にケガをさせてしまった場合、叱るか?怒るか?

みんなでやる掃除をサボってしまった場合、叱るか?怒るか?

何回も遅刻を繰り返している。叱るか?怒るか?

これについては、同僚たちと何度か論争したものです。

結論から言うと、叱る場合と怒る場合があるということです。

〝叱る〟とはどういう意味か。

「叱る」…「(目下の者に対して)よくないことであると強く注意し、厳しく言い聞かせる」(広辞苑)
「相手の仕方を、よくないといって、強く注意する」(新明解国語辞典)

「いか怒る」「おこ怒る」(以下、怒る=おこる)…

「不愉快・不満を感じて気持があらだつ。また、その気持ちを表に出す。腹を立てる」(広辞苑)
「許しがたい事柄に接し、不快感を抑えきれず、いらだった状態になる」(新明解国語辞典)

「叱る」は、よくないことを「注意する」ということです。

「注意」は、「相手に向かって、気をつけるように言うこと」(広辞苑)
「相手の自覚を促すために、よくないことだからやめる(好ましくない事態に陥らないために気を付ける)ように言うこと」(新明解国語辞典)

「怒る」は、「許しがたいこと」に対して「不愉快」「不快感」を感じ、「いらだつ」「腹を立てる」ということ。

「叱る」は、注意すること、気を付けるように言うこと。冷静で、感情的にはなっていません。

これに対して「怒る」は、許しがたいので不快感が強まり腹を立てています。かなり感情的です。

ふざけ合っていて度が過ぎて相手が軽傷を負ってしまった場合、不注意で誤ったことをしてしまったということです。よく話を聞きとって、いじめではなく、加害者もよく反省しているとしたら、「許しがたい!」と腹を立てる必要はないでしょう。度が過ぎないように気を付けるよう注意すればよいことです。

遅刻を繰り返す○○さん。遅刻を繰り返す原因があって、それをなかなか克服できないでいるのか、遅刻をよくないことだと思っていないのか。
だとしたら、必要なことは、自覚を促し、遅刻を減らすために生活を見直して気を配るようにすることではないでしょうか。
「許しがたい!」と感情的になることではないでしょう。

一方、弱い立場の子に暴言を吐いたり暴力を振るったりした場合、冷静に「度が過ぎないように気を付けなさい」なんて言ってる場合ではないでしょう。
人として許しがたい言動が起っているのです。
不快感を募らせ腹を立てるのが、人として当然です。
どの子どもも人として尊重するのなら、人として当然の態度で接しなければならないと思います。
ですから感情むき出しに怒らなければならない。

しかし、発達途上の子どもです。
発達過程で人として許されない重大な過ちをすることもあります。
そのことを悟らせる教育のチャンスでもあります。これは極めて冷静なスタンスです。

教育の場での〝怒る〟は、感情むき出しに怒るのですが、その根っこには、いか怒りだけではなく、この子にまともな感覚を身につける教育のチャンスにするという思想がある。
その懐の大きさが必要です。

初め頃に、次のことを書きました。

4月の初めに、子どもたちに宣言したと。

こんなときは怒ります!

暴力やいじめなど人を傷つけたり、自分を大切にしなかったり、学ぶことや働くことを粗末にしたり…、人の道にはずれた言動に対しては真剣に怒ります。

きみたちも子どものうちには、悪いことをしてしまうこともあるでしょう。
その時には大人(学校では、先生です)に怒られて、「これは悪いことだ」と学んでいくのです、その時はしっかり怒られてください。
きみたちが大人になって悪い人間になってほしくないですから。

人としてやっていいことと絶対にやってはいけないことの区別ははっきりさせます。
とくにいじめ・差別・暴力(言葉の暴力も含む)は絶対に許しません!

ですから、怒るのは、人として許すことができない、余程の場合です。

一年間で一度も怒ることがなかったこともありました。
注意することはたくさんありましたが。

子どもが、注意されていることも「怒られた」ととらえている場合が多々あります。
それは、おそらく教師が「注意する」ことと「怒る」ことが明確に区別されていないからではないかと思います。

私も若い頃は、そうでした。

もう一言。

怒ることがいつ起こるかわかりません。

普段からたくさん褒めておきましょう。

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