実践

自治をめざすクラスづくり(69)

パリ五輪のちょっと(いや、すごく)いい話 子どもたちに語りたい

美しいシーン

◇卓球女子シングルス3位決定戦で、日本の早田ひな選手が、利き腕の左手首を痛め、痛み止めを打って試合に臨みました。
手首のテーピングが痛々しい。
その状況でも決してあきらめずたたかい抜いて見事勝利。
銅メダルを手にしました。
試合が終わった瞬間、床にへたり込み顔を覆い肩を震わせました。
そこに歩み寄り、笑顔で早田選手の肩を抱き、健闘を讃えたのは、激闘の末敗れた韓国の申裕斌(シン・ユピン)選手。
自身の悔しさは微塵も見せずに。

申選手は、語ったそうです。

「早田選手を長い間、見てきました。本当に一生懸命頑張って、真剣に試合をしました。そんな部分を認めてあげたかった。私ももっと心が強い選手になりたいという一心で抱きしめて、祝福をあいさつをしました」。

涙する勝者を包み込む敗者の笑顔…。

◇バドミントン女子。銀メダルの何氷嬌選手(中国)。表彰台で、スペイン国旗が描かれたピンバッチを示しました。
前日の準決勝でたたかったカロリン・マリン選手(スペイン)を思いやる行動でした。
優勝候補のマリン選手は、リードしていたこの試合で右膝を痛めて、涙ながら棄権を決断。その様子を心配そうに見守っていた何選手は、退場するマリン選手と熱く抱き合いました。

 何選手は、表彰式のことをこう話しました。

「マリン選手は、とても素晴らしいアスリート。けがしたことは悲しかった。一日も早く良くなってほしいと思いました」

◇ボクシング女子75キロ級のヌガンバ選手。
難民選手団で初のメダルとなる銅を獲得し、「今までの努力のたまもの」と感慨を込めました。
カメルーン出身で、幼少期にイギリスへ移住。
滞在を続けるために毎週のように書類にサインを求められ、収容所に連行されたこともあります。

難民選手団とは、戦争や迫害などから逃れるため、祖国を離れた選手たち。

世界に1億人以上いるといわれる難民。

ヌガンバ選手は語りました。

「彼らは、いつこの世の終わりを迎えてもおかしくないと感じている。自分が光りになりたい」

「世界中の難民に対して、一生懸命努力を続けて自分を信じて力を尽くせばなんでも達成できると伝えたい。私は、他の難民選手、世界中のアスリートと同様に一人の人間にすぎない」(時事)

◇ブレイキン女子に出場したアフガニスタン出身のタラシュ選手は、悲痛な思いで舞台に立ちました。
アフガニスタンで殺害予告を受け、スペインに亡命してブレイキンに取り組み、五輪にたどりつきました。
演技のラストで「アフガニスタンの女声に自由を!」と記したケープを掲出して、失格になりましたが、女声の音楽鑑賞やダンスを禁止する祖国の現状に強く異を唱えました。

◇ビーチバレー女子決勝。ブラジルとカナダの4選手がネット越しに口論を始め、審判が間に入っても収まりません。顔を突き合わせ激しい言い合い…。

この時、会場に音楽を流すDJが機転を利かして流したのは、人類の平和を願うジョン・レノンの「イマジン」。

 会場から自然に歌声が響き、空気が和みます。4選手の表情がやわらいでいきました。最後は笑顔になり、DJに「ありがとう」と拍手して、試合に戻っていきました。

近代オリンピックの創設者クーベルタンは、相互理解の大切さを唱え、「それのみが本当の平和の基礎になる」と述べています。

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