いじめ問題にどう取り組むか(2)
〝いじめ問題〟をどうとらえるか
いじめ問題の背景
1.〝差別大国〟〝いじめ大国〟の日本
学校で、〝いじめ〟が、なぜ以前から起こり、いまだに続いているのでしょうか。
その社会的背景を考えてみましょう。
第一に、日本が、恥ずかしながら、いじめや差別がはびこっている国だということです。
女性への差別、障害者への差別、性的マイノリティーへの差別、労働者いじめ、下請けいじめ、農業いじめ、高齢者いじめ等々。人々のたゆみない努力によって、少しずつ改善は図られていますが、まだまだ前途多難な状況です。その社会全体の影響を受けざるを得ない。
2.教育と学校がいじめられている
第二に、日本では教育自体、学校自体がいじめられているのではないかということです。
学校現場は多忙を極め、がんじがらめ。教職員は、4%の「調整額」で、働かせ放題。
ずっと続く残業代不支給。授業時間は増え、〝詰め込み教育〟は改善どころか、ますます厳しくなっています。
小学校から「英語」の導入。
毎年の全国学力テスト。
少数の不合格者にならないための、厳しい高校受験。「スタンダード」という名の校則の強要。
管理職からのパワハラ。
不十分な教育予算。
増える父母負担。
強制的な学校統廃合。
短い休日。
教育の自由が失われ息苦しさが増す学校現場……
学校全体、子どもたち全体が、大きな〝いじめ〟の網の中に入れられているのではないでしょうか。その中に、教職員も子どもたちも、埋没してしまっているのではないかと危惧するのです。
その息苦しさを、子どもたちは無意識にも、肌で感じているのかもしれません。
3.おとなの生き方
以上のことを踏まえると、第三に、おとなの(教職員の)人としての生き方が問われているのではないかということです。
まわりのおとなたちが、いじめや差別を許さない態度や行動を示し、ほんとうの幸せとは何か、ほんとうの教育とは何かを問い続け、励まし合い、助け合い、学び合う関係を築く努力をしているところには、いじめは起こりにくいのではないか、と思うのです。
おとな(教職員)の生き方が問われているのです。
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