勉強について考える(1)
勉強とは㊤
林友三郎『中学生時代』(岩波ジュニア新書)より
「勉強」ということばには、読んで字のとおり「つと勉めてし強いる」という意味があります。
たとえ気が向かないときでも、必要なことは、それをがまんしてやらなければいけないことです。
満6歳になるとだれでも小学校に入学しますが、それぐらいになれば、人間はいやなことでもやれるようになり、遠い目的のためには、近いよろこびを犠牲にすることができるようになるということです。
勉強といえば、いつでもつまらないものかといえば、そうではありません。
ほんとうは、勉強はとてもよいものにちがいないのです。こんなによいものの楽しさが、もし、かんたんにわかってしまったとしたら、もったいないとさえ思います。
けれども、好きで勉強したらどんなに楽しいことでしょう。
自分から求めるものがあって勉強すれば、見るもの聞くものすべてに新鮮な感動を受けますから、そういうときの自分は、じつに充実して感じられるからです。
そして、ひとたび興味をおぼえはじめると、つぎからつぎへと自分から学習を進めてしまうものです。
そういう経験は、大なり小なり、多くの人が持っているのではないでしょうか。
勉強を、学校の勉強や受験勉強だけにせまく限定して考える必要はありません。
そうすれば、きっと、きみたちにも思いあたることがあると思います。
たとえば、カブト虫やクワガタ、小鳥、ネズミ、ウサギなどの小動物がたまらなく好きで、小動物のこととなると、おとなもおよばないほどたくさんの知識をもっている人がいるのです。
これも一種の楽しい勉強です。
わたしの知人の息子さんにも、そういう少年がいました。じゅうしまつ十姉妹やリスやらをたくさん飼って家の中がくさくなるほどでした。
家の人は閉口したものですが、しかしその子の楽しみと特徴をよく見守ってやったせいか、にがてな教科はいくつもあったのですが、理科の、とくに生物のこととなると、学校でいつも良い成績をとっていました。
そのうちに、自分の好きな道に進むためにほかの教科もたいせつだといいことに気づいて、どうにか入学試験にも受かり、いまでは大学で動物の飼育関係の勉強をしています。(つづく)
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