教育の目的(6) 自立の力を育てる
知性の力
私は、社会科の教師でもあります。
中学3年生で学習する「公民」の教科書に、「社会資本の役割と環境への取り組み」というタイトルのページがあります。(帝国書院『社会科 中学生の公民』令和3年1月20日発行)
このページ(同書161~162ページ)の記述について検討し、正しく判断するということについて、考えてみましょう。
「日本の社会資本」という項目で、まず「道路や橋、上下水道などの社会資本は、私たちが生活するうえでも、企業が生産を行ううえでも不可欠です。」と書いてあります。
社会資本:道路・港湾・鉄道・通信・電力・水道などの公共施設のこと。
社会的間接資本。
社会的共通資本。(広辞苑)
「社会資本」を広辞苑ではこう説明して、「⇒インフラストラクチャー」と追記しています。
そこで、infrastructure という英語は、infra+structure
infraは、「下に」という意味。structureは、「構造」。
ifrastructureは、下部構造」という意味です。どうやら「社会資本」とは、infrastructureの訳語のようです。しかしどこにも「資本」という言葉はありません。「資本、元手」は、capital。
英語が、本来の意味とは違う日本語訳になっている例は、多くあります。
Convention on the Right of the Child が、政府の訳では「児童の権利に関する条約」。Childは、ふつう「子ども」と訳されるでしょう。しかし、政府は「児童」と訳しています。「児童」というと、小学校に在籍する子どもという意味にもとられます。

リストラはrestructuring(再構築、再編成)の略。restructureは、「再構築する」
テンションは、tension(緊張)
リフォームreformは、「(制度・組織・法律などを)改善する、改革する。改心する。」
「(建物などを)改造する」は、remodelです
話をもどして。
道路や橋、水道などを「社会資本」と説明しているのを見て、違和感を感じました。
nfrastructureを「社会資本」としたのでは、わかりにくい。資本主義の「資本」は、商品を生産し、利潤をあげるための元手です。
Infrastructureは、生活の基盤・土台となる「社会的基本施設」。
広辞苑の説明通り、道路・港湾・鉄道・通信。電力・水道などは公共施設です。もうけの元手ではありません。もうけの元手であるかどうかではなく、人間の生活の基盤として不可欠なものが、infrastructureです。こう教えなければなりません。
ところが、この教科書では、そのあとに、こういう記述があります。
建設から50年以上が経過し、公共施設を含め社会資本の老朽化が進んでいます。今後、古くなった社会資本をつくり替えるだけで、年間5兆円規模の財源が必要という試算もあります。これは、国や地方公共団体にとって大きな財政負担になります。人口減少も進むなかで、今ある社会資本をどのように維持・管理していくかが問われています。
…社会資本を効率的に維持・管理するための動きも見られています。(中略)
これまで多くの公共施設は地方公共団体がみずから運営してきました。しかし、近年では民間経営のノウハウを生かして、効率化を図るため、公立の体育館や図書館、浄水場などの施設の運営を民間に任せる動きが出ています。
あれ?と思いました。
この記述は、暗に、老朽化したインフラ(社会的基本施設)を全部直すには年間5兆円もかかるので、効率性を考えて取捨選択をする。国や地方自治体が責任をもつのではなく、民営化してもいい。そういう動きもある、ということを言いたいのでしょう。
現に進行している、採算性のわるいJR在来線の廃線、採算性のわるい公共施設は廃止、あるいは民営化(指定管理者制度化)を、オブラートに包んで述べているとしか取れません。
中学生が読む教科書で、こんなイミシンな表現を使っていいのでしょうか。
ここで想起されるのは、
①政府が新自由主義路線にしがみつき、公共施設の削減・民営化を強力に推し進めていること。
②安倍内閣が、教科書に政府の見解を記述させることを、閣議決定したこと。
という事実です。
Infrastructure(社会的基本施設)をどう整備するかということを論じる場合、
まず第一に、住民の要求があるのかどうか、地域・住民で十分に論議されているのか、という民主主義の視点が必要です。
第二に、効率化(採算性、コスト削減)が目的ではないということです。憲法で保障された国民の生存権を守るという視点を欠いてはならないということです。政治の目的が効率化になってしまったら、国や地方自治体が株式会社化してしまいます。現にこの事態が進行しています。
〝自立〟とは、もうひとりの自分を育てることです。もうひとりの自分としっかり対話することです。それは、理性と知性を育てることにほかなりません。論理的・科学的なものの見方を育てることと、事実・真実・ものごとの本質を知ることが欠かせません。

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