気持ち新たに!
「せんせい」であるための資格
鈴木啓史(奈良教育大学付属小学校教員)
教員の「権威」自覚してますか
子どもたちが学校に来る。教員として子どもたちの前に立つ。
教員は子どもたちに自分の席に座るように促す。
ここにはすでに、教員と子どもとの間に「権威」が働いています。
そのことを自覚している教員はどれだけいるでしょう。
また、その「権威」が何に・誰によって与えられているものなのかを考えている教員はどれだけいるでしょう。
学校に来ることも、席に座ることも、子どもには拒否する自由があります。
やりたくないことはしたくない、当然です。
にもかかわらず、子どもたちにそれを強いる何かしらの力が働いているのです。
この力に自覚的になるところから、「専門職」としての教員は始まります。

教員とは何者なのか
子どもたちは教育を受ける権利、学習権を持っています。
そして、第一義的に子に教育をする権利(教育権)と義務を持つのは、国でも教員でもなく「親権者(親)」です。
国は、教育を受ける権利を保障するために条件整備をする責任を負っています。
では、教員は何者なのでしょうか。
なぜ、子どもたちに教育をおこなっているのでしょうか。
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。(憲法26条2項)」といっても、国民全員が普通教育の専門家ではありませんから、「専門職」に委託する必要があります。
教員はその専門家たる免許状を有し、
親の教育権を委託され代執行する「専門職」としての意味合いを持っているのです。
教員の「専門職」として求められる能力は多岐にわたります。
教育内容への専門的知識、それをわかりやすく教える技術に、子ども自ら学ぼうとする力を育てる技術、子どもの発達への専門的知識、学級経営、親への働きかけ……。
とてもじゃないですが「自分は持っているぞ」とは言えません。
若い先生方は「そんなにたくさんのことを求められても…」と不安になってしまうかもしれません。
ですが、大丈夫です。教員に多くを求める人はいるかもしれませんが、子どもの前で「せんせい」でいるための条件はいたってシンプルです。
それは、
- 学ぶことの楽しさを身をもって示す「学びのプロ」であること。
- 多様な子どもや保護者たちを、どのような人であっても一つの人格として尊重し、その人権を保障しようとする「民主主義のプロ」であること。
この二つであると私は考えています。
これらを教員の専門性の土台として、その上にさまざまな知識や技術を積み上げていく過程に教員としての成長があります。
「学びのプロ」としての教員
【子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい」人のことだ】【研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います。】
これは戦後の教育者・大村はまが『新編 教えるということ』(筑摩書房、1996年)で語っている言葉です。
子ども一人ひとりのことをより深く理解し、その成長・発達に寄りそおうとすること。
そのために日々研究を積み重ねること。
それは「せんせい」として子どもの前に立つための必要な資格であると同時に、教員というしごとのやりがいでもあります。

子どもはどの子も「かしこくなりたい」「がんばりたい」という「ねがい」を持っています。
ですが、外から見ると、さまざまな要因で、なかなかそうは受け止められないような姿をしていることもしばしばです。
「学び」を拒否しているかのように見える子どもであっても、産まれてからこれまでに、歩けるようになったり、話せるようになったり、トイレに行けるようになったりと成長・発達してきたのは、そうした成長・発達への要求(ねがい)をどの子も持っているからです。
子どもたちが学校に来て、授業に参加するのはその「ねがい」があるからです。
教員はその「ねがい」に応えられるように学びつづけ、学ぶ喜びをその身で示していくのです。
「民主主義のプロ」としての教員
いかに学校・教員に「権威」が働いていようとも、子どもも大人も一つの人格・個人として対等でなくてはなりません。
また「学ぶ」という行為において、学問の前にすべての人は平等です。
学校において一人ひとりの人権を対等・平等に扱うことは、口で言うほど簡単ではありません。
だからこそ、私たち教員は学びつづける必要があるのです。
労働組合は「民主主義の学校」と言われることがあります。
私たち労働者一人ひとりの権利もまた、尊重される社会でなくてはなりません。
そのために社会のしくみがどうあるべきかを学びつづけます。
目の前の子どもたちを尊重することと、社会のしくみを考えることはつながっています。
子どもたちが学ぶ楽しさ、生きる喜びを目いっぱい感じられる社会を、教員という生き方を通してともに考えていきましょう。 (1985年生まれ/すずき・さとし)
(『クレスコ №289 2025,4』大月書店 より)
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