子どもの自立を阻むもの②
「教育改革」が教育を破壊する
2000年頃から、資本主義生き残りのための市場原理・競争主義・規制緩和を標榜する新自由主義が教育政策にも導入され、教育と学校を商品化する動きが強まりました。
国は、新自由主義による「教育改革」を推し進めています。
これは、教育を破壊するものでしかないと、私は考えています。
教育分野にも、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action)の導入が推奨されました。
これはそもそも企業が効率的に労働者を管理するシステムです。
2006年、教育基本法が改正されて、教育の目標に20もの徳目が掲げられて、戦前復帰のような愛国心教育が進められ、国家による教育への統制が強められました。
それに伴い、2007年、学校教育法が改正され、文部科学大臣の教育統制権が強化され、教育目標が大幅に拡張されました。
また、副校長・主幹教諭・指導教諭などが導入され、教職員への統制が強められました。

学校教育法第21条3項には、教育の目標として、次のように規定されました。
我が国の郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
「正しい理解」とは何を意味するのか?
それは、「歴史解釈の多様性を否定し、『愛国心』と国旗・国歌を強制すること」です。(藤田英典編『誰のための「教育再生」か』岩波新書)
2007年から、「全国学力テスト」が実施され、子どもたちと学校が競争と序列化にさらされることになりました。
国連子どもの権利委員会が、度々是正を求めても一向に改善されないと懸念を示していることです。
競争は子どもたちにストレスを負わせこそすれ、学習意欲の向上、学力向上にはつながりません。
佐藤学氏らが提唱している、学びの共同体の構築こそが必要で、学級集団のなかに、子どもたちがともに学ぶ関係を築くことが肝要です。
全国学力テストに参加するかどうかは、市町村立学校であれば市町村の教育委員会が、都道府県立であれば各都道府県教育委員会が決めるべきです。
唯一、愛知県犬山市だけが、市教育委員会が不参加を決めました。
このテストが、子どもたちにどんな影響をあたえるのか、子どもたちを育てるものなのか、議論した自治体や学校がどれだけあったのでしょうか?
それどころか、点数を上げるために、練習問題をやったり、机間巡視して間違いを指摘したり、点数の低い子を休ませたりした学校もあったというのですから、驚きです。
少なからず全国の学校が点数主義・競争主義に巻き込まれたのです。
点数主義・競争主義では、子どもは育ちません。
むしろ、成長を歪めてしまいます。物事について深く考え、学ぶ力は育ちません。
点数だけが学力ではないのですが、子どもたちは、点数を取り「成績」を上げることが「勉強」だと思ってしまいます。
点数を取れない子どもは、「できない子」というレッテルを貼られ自信を失い学習意欲をなくしてしまいます。
共に学ぶ、互いに学び合う喜びを失ってしまっては、子どもたちにとって不幸なことではないでしょうか。
こんなことを毎年、何十億円も使ってやっているのです。
恐いのは、子どもたちにとってマイナスにしかならないことを毎年の行事のように実施して教師たちが何の疑問も持たなくなっているのではないかということです。
慣れてしまうのは、恐いことです。

いま、子どもの「学力低下」が大きな問題になっていますが、これは、子どもたちの間に「学力格差」が広がっている問題だと、私は見ています。
「個別最適化」などといい、「学級解体論」まで言われていますが、これは学力格差をさらに広げるものだと言わざるを得ません。
日本には、戦前の〝綴り方教育〟から続く〝学級集団づくり〟という民主主義教育のすぐれた実践の蓄積があります。
それがいま、消滅の危機にあると、私は危惧しています。
いまこそ、共に学ぶ、学び合う自治的な学級づくりが求められているのではないでしょうか。
市場原理・競争主義の新自由主義「教育改革」に抗い、子どもを主人公にする民主的な学級づくり・学校づくりを!
そうでなければ、「教育」が教育を破壊することになりかねません。
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