中学3年生、進路について考える②
人間らしく生きるために
憲法・47教育基本法・子どもの権利条約の民主教育の原則を前提として、子どもたちが人間らしく生きていくためにどんな力を育てたらよいか。
進路とのかかわりで考えてみましょう。
第一は、自分のことは自分でやれる力です。
入試当日でさえ自分で起きれず、グズグズしていて遅刻しそうになり、でもあわてるのはお母さんの方で、「ほら、タクシー代」と差し出されたお金を当たり前のように受け取って、遅れたらお母さんのせいだと言わんばかりに飛び出していく。
あるいは、出願に行ったが道順がわからなかった…なんていうことでは困ります。
自分のことが自分でやれことは、人間として一人前になる第一条件です。
この力は、また、自分を見つめる力でもあります。
思春期に生まれる〝もう一人の自分〟がでたらめな行動に歯止めをかけ、辛くてもがんばる自分に拍手を送る。
こういうことができるようになれば、それは自分で自分を変えていく力の基礎ができたといえるでしょう。
第二は、仲間をつくり、仲間と連帯していく力です。
この力の欠けているところで、暴力・いじめが起こり、またそれを容認する雰囲気が生まれます。

最近、友だちを好き嫌いだけで評価し、仲良し友だちとしか生活できない傾向が目立ちますが、よほど意識的に学級づくり・学年づくりに取り組まないことには、いじめ・暴力や進路の問題に立ち向かう仲間にはなりえません。
仲間とともに生きる力は、生徒会や学級などの自治活動・文化活動を通して、仲間への信頼や連帯を実感しないことには身につくものではありません。
たくさんの感動を経験させたいものです。
合わせて、本当の意味での男女平等についても考えさせたいところです。
第三は、勉強の目的や働くことの意義など、根本的な課題を追求する力です。
人類の歴史から、サルからヒトへ、ヒトから人間へと進化していく過程を学び、そこから学校の
役割や労働の役割を理解させることができるでしょう。
身近に働く人々を訪ねたり、父母の歩んできた道を聞くなどの実践も、大いに意義があります。
第四は、人間の能力の可能性を正しく見る力です。
偏差値によって振り分けられ、能力の限界を思い込まされ、あきらめることで進路が決まっていく仕組みとどうたたかうか。
「できない子は生まれつき」だから、「いくら勉強してもムダ、高校へ行ってもしようがない、大学へ行ってもそうだ」という宣伝にだまされないようにしたいものです。
勉強がまだ足りないから、そしてこのままではまだ社会に出せないからこそ、学校を必要とするのではないでしょうか。
高校に入ってから見違えるように成長した子はたくさんいるのですから。

第五は、社会の問題に目を向け、考える力です。
テレビや新聞が、毎日おびただしい情報を流していますが、その中から、生きた教材を探し、家族の話題にすることは容易です。
コラムや社説を読んでその主張に疑問をもつ、いじめ問題の切り抜きをやってクラス・学校のいじめを考える、といったこともできます。
真実を見つめ,正義感や批判力を養うことは,この世の中を生きぬいていくうえで大切なことです。
- 自分のことは自分でやれる力
- 仲間をつくり、仲間と連帯していく力
- 勉強の目的や働くことの意義など、根本的な課題を追求する力
- 人間の能力の可能性を正しく見る力
- 社会の問題に目を向け、考える力
これらの力が総合的に働いて、進路をきりひらく力、単に進学・就職への道ということではなく、人生をきりひらく力の基礎となるのではないでしょうか。
(あゆみ出版『わが子は中学生86.6』より)
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