経験談

進路について考える(3)【今こそ学校に希望を189】

進路について考える③

進路指導をどうすすめるか        

~進路指導・進路教育の基本的な考え方~

生き方を教えるのではない

進路とは、これから生きていく道です。
それを指導するとは、「この道を行きなさい」、「こう生きなさい」と、〝道〟を指し示すことではありません。
生き方を教えることではありません。

戦前は、国が子どもたちに生き方を強要し、マインドコントロールしました。
「天皇のため国のため」に命を投げ出すことを。
10代の子どもたちが、「軍国少年」「軍国少女」として育てられ、何の疑問ももたずに、軍需工場で働き、特攻隊員として出兵させられました。
家制度のもとで、〝家〟のために、個人の幸福が犠牲にされました。
(いまだに、家制度に縛り付けようとする動きがあるのは本当に嘆かわしいことです)

「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条)

自分がどう生きるか自分で決める。
他に支配されず、何が正しいか自分で判断する力を身につけるために〝もうひとりの自分〟を育てる。
まさに、自立の課題です。

「進路指導」「進路教育」とは、まさに、「教育」そのものだということです。

「教育」は、子ども一人ひとりの幸せを実現させるための仕事だということはわかっているはずなのに、「進路指導」と称して「進学指導」に埋没してしまっているとしたら、要注意です。

Aさんが志望している○○高校に合格させることが、Aさんの幸福になると思うのでしょう。
それは〝親心〟としてわかります。
そのために、合格できるよう入試の点数が取れるよう躍起になる。

それも親心。

不合格を望んでいるのではありません。
当たり前です。
もちろん、担任としては〝我が子〟が合格できる全力応援します。
私もそうしてきました。
放課後、数学でも英語でもわかるかぎり教えてきました。
「1点でも多く取るんだ!」と叱咤激励してきました。

では、不合格になったら、Aさんは不幸に陥るのでしょうか。

競争社会の矛盾 ~すべての子どもの幸福を願って

競争社会では、必ず勝者と敗者が生まれます。
Aさんが合格すれば、必ず、他のだれかが落ちるのです。
教師も子どもの、この矛盾の中に生きているのです。

私は、教師として、人間として、日本中の世界中の、どの子も幸せになってほしいと願わずにはいられません。

ですから、目先の進学・入試の課題を包含しつつ、〝人間らしく生きる〟ということを大前提にして、どう生きるかということを考えさせる、そのための知識や情報を提供するということが必要なのではないでしょうか。

不合格になることは、けっして不幸を意味しません、学び続ける機会が保障されていれば。

競争社会になっている。
だからこそ、その矛盾についても学び、それを乗り越え、凌駕する価値観を身につけたいものです。

理性と知性を育て、感性を磨き、自立の力を身につけることの意味はますます大きくなります

進路指導とは、〝生き方〟について、教師や親とともに、子どもたち同士で、考えさせるものでしょう。

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