理論

憲法記念日にあたって㊥

憲法を手放してはいけない!

現在の改憲論議には、3つの重大な誤りがあります。

第一に、憲法改正は権力側から言い出すことではないということです。

憲法は、国民から国家にたいして発した命令書です。

日本国憲法(以下「憲法」)・第三章は「国民の権利および義務」が定められていますたとえば、第23条は、「学問の自由は、これを保障する」と書かれています。

これは、どういう意味か? 

学問の自由の権利をもっているのは国民です。
国民が国家にたいして学問の自由を守れ!と命令したものです。
ですから、国家は国民の学問の自由を守らなければならないという義務を負うのです。
「学問の自由は、これを保障する」というのは日本語独特の表現ですが、言い換えれば、「国は、国民の学問の自由を守らなければならない」となります。
主語の「国は」が省略されているのです。

憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と定めてあります。

これは、すべての人権の土台となる人権ですが、「すべて国民が、個人として尊重される権利をもっている。
ですから、国はすべての国民を個人として尊重しなければならない」ということです。

憲法・前文では、全世界の国民が、「平和のうちに生存する権利」を有すると定めています。

これもまた、すべての人権の土台です。
憲法そのものが侵略戦争の反省から生まれたものであり、平和が保障されなければ、国民の生存(生命)そのものが守られないからです。

そして、憲法9条で、戦争の放棄と、戦力の不保持を定めたのです。

政府は、戦争をしてはならない、そのために戦力を持ってならない、ということです。(戦争を始めることができるのは政府だけです)

憲法は、国民が定めるものですから、改正するのも多数の国民の意見があってはじめて、国会でとりあげるものです。

ところが、いまの改憲論議は、そもそも「戦争できるように」などと国民から要求があったものではありません。
戦争できるように9条改正を要求する何万人もの署名が提出されたという事実もありません。
むしろ、9条改正反対の署名が多く集まっています。

それにもかかわらず自民党=内閣から、すなわち国家権力側から提起されたものです。
権力を担う公務員には、憲法遵守義務があるのです(憲法99条)。
内閣総理大臣や閣僚や国会議員が、憲法改正を言い出すことは、あり得ないことなのです。

第二に、自民党の「憲法改正案」は、そもそも変えてはいけない項目を変えようとするものです。

小中学校でも教科書で日本国憲法の3つの根本原則として教えられる、①国民主権 ②基本的人権の尊重 ③平和主義(戦争放棄)。
これは、憲法の中の〝人権宣言〟にあたる部分で、絶対的普遍的価値をもつ根本原則であり、変えてはならない部分です。

ここを変えてしまったら、民主主義が破壊され、再び戦争する国になってしまいます。

第三に、現に政府=与党が、憲法違反の法律を強行してつくり、憲法を蔑ろにした政治をすすめているという事実です。
いまの憲法で保障されている人権条項・平和条項を守らずに、憲法改正を主張する資格があるのか、ということです。

個人の尊重が明記され、家父長制度は廃止されているのに家制度を主張し、選択的夫婦別姓制度も認めない。
憲法9条で武力による威嚇も禁止されているのに〝核抑止力〟を堂々と主張する。
国会が国権の最高機関であるのに、国会の審議にもかけずに〝集団的自衛権の行使容認〟〝敵基地攻撃能力の保持〟などを閣議決定で決めてしまう。
憲法が最高法規なのに、日米安保条約という一条約を憲法の上に置いてしまう、等々。
軍国主義復活に道を開き、民主主義を破壊する、憲法改正は絶対に阻止しなければなりません。

憲法を手放してはいけません。

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