沖縄

子どもたちといっしょに読みたい【今こそ学校に希望を205】

沖縄「慰霊の日」

6月23日は、80年目の、沖縄「慰霊の日」でした。

この日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が行われました。

沖縄では、80年前の1945斗年3月末からおよそ3カ月にわたって、アメリカ軍が上陸し、血みどろの地上戦になりました。
沖縄県民の4人に1人が命を落としました。
アメリカ軍に降伏してならないという軍の命令の下、多くの人が集団自決を強いられ、壕追い出しをされ、日本軍に虐殺された住民も多くいました。
沖縄では、「戦争になれば、軍隊は住民も救わない」と語り継がれている由縁です。

現在も、日本にある米軍基地の70%が沖縄に集中していて、米軍による事件や事故が後を絶ちません。
しかも、「日米地位協定」によって、米軍が起こした事件や事故について、日本の警察・裁判所で捜査して裁けない、治外法権になっています。
日本政府は、沖縄県民が反対している辺野古新基地の建設を強行しています。

近年は、台湾有事に備えて、与那国島、石垣島、宮古島などに自衛隊が基地を建設しています。

“画像は自衛隊HPより引用”

米軍基地があるのは、日本を守るためでも何でもありません。
アメリカがやる戦争に日本が協力し参加するためのものであることが明らかになってきました。

沖縄では、戦争が差し迫っているのではないか、と実感するそうです。
これは、沖縄の問題ではありません。日本の問題です。

沖縄戦から80年ですが、決して過去の問題だと済ませられない現実の問題があります。

 戦没者追悼式で、城間さんが朗読した詩です。(ここからは、6月24日付・信濃毎日新聞の記事からの引用です)

「平和の詩」朗読 小6城間さん

「あの時に死んでおけばよかった」。泣きながら戦争の頃を振り返る祖母の姿に、涙がこぼれた。

沖縄県豊見城市立伊良波小6のしろま城間いぶき一歩輝さん(11)は、祖母の口ずさんだ戦時中の歌から80年前の惨禍に思をはせ、平和の詩をつくった。「人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように」と願いを込め、一言ずつ力強く読み上げた。

ゴールデンウイークの学校の宿題だった平和の詩を書くため、母方の祖母比嘉キヨ子さん(86)の家を訪ねた。
笑顔で「防空壕」の歌を歌ってくれた後日、また戦争の話を聞いた際に「死んでおけば」の言葉を口にした。
一歩輝さんは「本当に怖い思いをしたから、忘れられないんだ」と気づいた。

祖母が一歩輝さんは母さおりさんに手りゅう弾で負った太ももの傷を初めて見せたのは数年前のこと。
戦没者追悼式で朗読することが決まったとキヨ子さんに伝えると、「傷のことが知られてしまう」と複雑そうな表情を見せたが、「頑張って」と背中を押してくれた。

祖母の思いをしっかりくみ取れるよう、ほぼ毎日朗読の練習を重ねてきた。
母や先生の前では読めるのに、祖母の前だと、祖母のたどった境遇が胸に迫り、涙があふれてしまって最後まで読み切ることができなかった。

「つらい思いを話してくれたので、僕が伝えていかなければならない」。大好きな祖母を今も苦しめる戦争のむごさを知り、平和への思いを新たに。「おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして、一生懸命に生きていく」と詩を結んだ。

平和の詩 全文

「おばあちゃんの歌」

毎年、ぼくはと弟は慰霊の日に
おばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせてウートートーをする

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入っていましょう防空壕」
五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに
一年に一度だけ
おばあちゃんは歌う
「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」
泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦のときに死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった
沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった
おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず
防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった
手榴弾を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった
でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた
五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った
八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく

コメント

この記事へのコメントはありません。