経験談

《特別編》 感動の再会【いまこそ学校に希望を228】

感動の再会

22日(月)、全く予想だにせぬ幸福感に包まれていました。

こんなこともあるんだ!と。

この日、風邪をひいて体調がすぐれなかったので、1時間年休を取っていつもより早く帰宅しました。
自宅の駐車場にクルマを停めると、近寄ってくる男がいます。

クルマのドアを開けると、

「先生、私、わかりますか?」

 顔を見ると、どこかで見覚えがあるような…。
しかし、はっきりはわかりません。

「うーー、わからない」

「谷中です」

「きみ、ちあき!?」

「そうです」

かつての教え子、谷中千秋だったのです。

あまりの感激に思わずに抱きしめました。

私は、神奈川県から長野県に移住したことを、元同僚の数人と、年賀状をいただく教え子数人に伝えただけでした。

谷中千秋は、私が藤沢(神奈川県)に住んでいないようだ。
いまどこにいるのか、探していたというのです。
グーグルから、私のブログを見つけ、そこに書いてある住所をナビで探し、「きょう来ました」と。
自宅の表札も確かめたが不在だったので、メモを置いて、帰るところだったと。

彼は、私に会うために、わざわざ神奈川から来てくれたのです。
妻と息子と孫もいっしょでした。

中学卒業以来、会っていないので、数えたら、42年ぶりの再会でした。

千秋は、私が教師になって4年目に1年生で担任になり、クラス替えはありましたが、彼は3年間担任しました。
学校の荒れを初めて経験した年でもありました。
彼もいわゆるツッパリグループの一人で、教師たちにくってかかっていました。
この3年間の学級通信は紛失してしまい、記録が残っていないので、具体的にどんなことがあったか、全く覚えていません。

ひとつだけ、忘れられないことがあります。

たしか彼らが3年生の時です。
ツッパリグループのボス的存在だったIが、私に向かってきました。
私は思わず、身構えました。

そこへ割ってはいってきたのが千秋。

「久永先生には手を出すな」と一喝。

千秋は、彼の祖母と暮らしていて、家庭の幸せにめぐまれていませんでした。

夏休みに家族で旅行に行くなどの経験がありませんでした。
そこで、私がもう一人も誘ってクルマで、「涼しい所へ行こう」と菅平へ1泊旅行に行ったのです。

「先生、夏に旅行に連れて行ってくれましたよね」
「千秋、いまどんな仕事しているの?」
「電気工事をしています」と
「すっかり落ち着いて、立派になって…」
「春になったら、また必ず来ますから、美味しいもの食べに行きましょう」と言って、5時過ぎに帰っていきました。

40年以上経っても忘れず、覚えてくれていて、探し当て、訪ねてくれるなんて。
ほんとうにありがたいことです。

これぞ、教師冥利でしょうか。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。