経験談

学校をどう変えるか(14) 【いまこそ学校に希望を331】

学校をどう変えるか(14) 

M中の不思議・その4

教育活動に科学的・理論的な根拠を 

~合唱をつくる取り組みをめぐって~

テクニックと文化創造との関係

スポーツでも音楽や美術などの文化創造でも、また各教科の授業づくりでも言えることですが、その活動・実践には、科学的・理論的根拠があります。

まずここでは、文化祭の主要な活動であった合唱づくりについて、考えてみましょう。

スポーツ、例えばバレーボールでも、いい試合ができ熱戦になれば感動が生まれます。
そのために日々練習を積み重ねます。
いいサーブを打てるようにする。
どんな球がきてもレシーブできるようにする。
トスを上げて、強いスパイクが打てるようにする。
こういうテクニックの習得が必要です。
レシーブ~トス~スパイク、その連携プレーができるようにします。
そのために繰り返し練習します。
チームプレーがまた感動を呼びます。

優れたピアニストは、そのピアノを弾くテクニックと、そこから演奏される音楽の人間性を兼ね備えているのです。

合唱も同じです。
いい合唱、感動の合唱をつくりあげるためには、そのためのテクニックを習得する必要があります。
そのための科学的根拠・理論的根拠があります。

声を出し方、言葉の発声の仕方、歌う姿勢、呼吸の仕方、リズム感、ハーモニー、フレーズ感……。
合唱は質の高い文化活動なので、かなり練習を積まなければなりません。
もちろん、プロの合唱団をつくるわけではありませんので、そこまで完璧にすることを目指しているのではありませんが、ある程度まで高めなければ、合唱にはなりませんし、子どもたちの達成感と感動は生まれません。
前任校では、およそ一カ月毎日練習を積み上げました。
それでも、できない部分も残ったものです。
しかし、どのクラスも、子どもたちが〝やりきった!〟という達成感と感動が生まれました。

ところが、前回述べたように、M中でも1カ月の時間はあったのですが、合唱をつくりあげる理論に基づいたテクニックを習得するための練習はほとんどできませんでした。

部活では、テクニックを習得するために日々練習しているに違いないのに?と、思うのです。

文化創造って、テクニックを身に付け、そこに人間の魂を入れていく作業が必要ではないでしょうか。

子どもたちの根源的な要求にどう応えるか

もうひとつ、教育理論上の課題について指摘しなければなりません。

教育とは、子どもたちに理性と知性と感性を育てることであると繰り返し述べてきました。

それは、子どもたちが根源的に持っている、本当のことを知りたい・学びたい、ホンモノの文化・価値を創造したいという要求に応えることが、教育活動だろうということです。

音楽会を滞りなくできた、という体裁を整えることではないでしょう。

「わたしたちのクラスは、ピアノ伴奏できる人がいません。先生に頼もうか、他クラスの人に頼もうかと、いろいろ話し合いました。その結果、伴奏なしでも合唱ができるようにしようと話し合いました。アカペラでも素晴らしいい合唱をつくるために毎日練習しました。聴いてください」

なんて子どもたちが言って、歌ったら、ほんとうにカッコいいじゃないですか。感動しますよ。

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