学校をどう変えるか(18)
異論あってこそ
元経済産業省官僚で政治経済アナリストの古賀茂明さんが、小論でガンジーの言葉を引用し、次のように述べています。
インドのマハトマ・ガンジーはいいました。
〝あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。…世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである〟。
異論をのべずに黙々と従っていると、自分が変えられてしまい、それが間違っているということに気づくことさえできなくなるという意味です。
古賀さんの小論は、政治とメディアのあり方について述べたものですが、このガンジーの言葉は、教育にもあてはまると思います。
М中では、教育活動について、学校のあり方について、異論はあまり、いやほとんど聞こえてきません。
たまに聞こえてくると、私はほっとします。
しかし、学校のあり方、行事の進め方など、教育活動の根幹に関わることについてはほとんど異論が聞かれません。
前にも述べたとおり、職員会議で、異論が出て議論になったことは、私の記憶ではこの1年半の間に一度もありません。
校長は、M中を変えいという気持ちを強く持っているようで、「学校をどう変えたいか議論してほしい」と言い、そのために職員を5~6人ずつのグループに分けてプロジェクトチームをつくりました。

先日その第1回の会議がありました。
よい試みだと思います。
5~6人だと、話し合いやすくなります。
(以前から述べているように、私は学級でも5~6人の班をつくり、班会議+学級討議を続けてきました)
私もプロジェクトチームのメンバーに入れていただきました。
私のチームは、学校生活と行事について検討することが役割です。
司会の先生がはじめに「校則を確認し、どう守らせるか」という趣旨の発言をされました。
私が早速異論を述べました。
「そもそも校則って、だれが決めるものなのでしょうか? 子どもを学校の主人公にするのなら、子どもたちが話し合って決めるものなのではないでしょうか。校則はすべて子どもたちが決めていいのではないか。
でも、すぐに全てとはいかないでしょう。
子どもの命や健康に関わり、これは教職員が決めた方がいいとものもあるでしょう。
いまは全て教職員が決めているとしたら、たとえば服装をどうするとかいうことは命には関わらないので子どもたちに委ねる。
全て教職員が握っているものを少しずつでも子どもたちに渡していくというのでもいいのではないでしょうか。」
「あの東京の世田谷区の公立中学校で校長だった西郷先生は、校則を全てなくした。それでも子どもたちは、授業に集中しているし、なんの問題も起こらない。公立の中学校で、こういう学校もあるのです」

おそらく、M中の先生方には、〝子どもが校則を決める〟という発想はなかったのではないでしょうか。
みんな仲よしこよしという、変な〝同調圧力〟はないでしょうか?
どんどん異論を出し合い、議論しましょう。時には激論も必要です。

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