学校をどう変えるか(21)
学校の言葉②
「黙想」
前回、「無言清掃」の前の「黙想」について、触れました。
もう少し考えてみましょう。
「黙想」とは、どういう意味か。
黙想…無言で考えにふけること。(広辞苑)
耽る…心を注ぐ。没頭する。(広辞苑)
黙想…[思想をまとめる(深める)ために〕他との会話や外界との接触を絶ち、ひとり静かに考えこむこと。(新明解国語辞典)
「黙想」とは、軽い言葉ではないということがわかります。
二つ疑問が出てきます。
一つは、各自考えるテーマは違うでしょうが、考えを深める、心を注いで考えるテーマだということです。
例えば、私はこのブログを書くにあたって、「何について書こうか?」「本当の教育につながるのかどうなのか?」…などど、ひとり考えに耽ります。
5分10分はすぐに過ぎ、30分1時間考え込むことはしょっちゅう。
一晩かかっても、1行も書けないこともあります。
以前、寒川(神奈川県)の中学校で、学級通信を書く時、書く内容は決めていても、そのタイトルをどうするかで、何時間も黙想したこともしばしばでした。
無言清掃の前の「黙想」は、1分か2分。
自分の人生について?
自分の将来について?
自分が学校で学ぶ意味は?
クラスで起こっている問題について?
……子どもたちは各自、何について黙想しているのでしょうか?
清掃のあと、ちょっと休憩~5時間目の準備~授業~と、忙しく流れていくので、子どもたちに何について黙想しているのか? 訊いていないのですが、訊いてみたいと思います。
しかし、いずれにしても、1分~2分で心を注いで考えを深めることができるのでしょうか?
私には、理解できません。「黙想」の時間が、黙想になっているのか、そもそも1~2分で黙想はできるのか? 一つ目の疑問です。だとしたら、「黙想」という言葉が、本来の意味から離れて、浮いてしまっているのでないか、と思うのです。
二つ目の疑問は、なぜ清掃時間の前に、「黙想」があるのかということです。清掃時間の前にあるということは、生徒全員が清掃について黙想する(考えに耽る、深く考える)ということなのでしょうか。

ここでさらに三つの疑問が生まれます。
生徒全員が、清掃について黙想するのだとしたら、「深く考える」テーマが「清掃」と決められているということになります。だとしたら、これは、子どもたち一人ひとりの内心の自由を奪うことになるのではないか?ということです。学級担任の先生も「黙想」するのでしょうから、何について黙想したか?というチェックも入らないでしょうから、事実上、内心の自由は守られてるでしょう。しかし、「清掃について黙想しろ!」などと言われたら、これはいかがなものでしょうか?
もう一つは、「清掃」が、毎日黙想するに値するテーマなのか?ということです。これは、言わずもがなでしょう。
三つめは、生徒の声で「黙想を始めてください」と全校に放送が入ります。そして1~2分後「黙想をやめ、帽子をかぶって、静かに(清掃場所へ)移動してください」と放送が入ります。私は、何の気無しに聞いていましたが、これも考えてみれば疑問が生じます。
この放送は、放送委員が流しているのでしょうか。清掃担当の生徒会本部役員が流しているのでしょうか。いずれにしても生徒が流しているので、生徒主体の活動なのでしょうか。
いつどこで子どもたちが話し合って、清掃の前に「黙想」の時間を設けることを決め、放送で
指示すること決めたのでしょうか? 少なくとも今年に限っては、子どもたちが話し合っている様子は見られませんでした。いや、全校で承認された「生徒会の活動方針」の中にあったのでしょうか。きっとそうなのでしょう。「活動方針」を調べてみましょう。
生徒総会では、「黙想」については、質問も意見もありませんでした。子どもたちの間では、疑問はないのでしょうか。
先生たちも疑問を感じないのでしょうか。

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