特別編2(上)
嬉しい年賀状㊤
かつて、K県S町で現役の頃は、年末は年賀状書きで大変でした。
学級担任している子どもたち一人ひとりに出していました。
以前担任していた子どもたち、教職員、友人その他で、200枚ぐらい出していました。
手書きは諦め、年賀状ソフトを使って、パソコンでつくるようになりました。
ホントに一言だけ手書きで書き添えて。

今は、すっかり少なくなりました。
はがき代もバカになりません。
来た年賀状だけに返事を出すことにしてしまいました。
かつての教え子2人から毎年来ます。
この2人から今年も年賀状をいただきました。
M.Sさんの年賀状には、「娘さんが20歳になった」と書いてありました。
M.Sさんは、私が学級担任をしたことは覚えています。
教員になって初めの頃だと思います。
その頃の卒業アルバムなどを調べてみたのですが、Mさんの名前が見つからないのです。
年賀状に電話番号も書かれていないので、確かめようがありません。
返事に私の電話番号とメールアドレスを書いたのですが、今のところ連絡がありません。
Mさんが、何年の何年何組の時の教え子だか、分からず仕舞いです。
M.Nさんの年賀状には、次のように書いてありました。
先生 お元気ですか。
私も還暦を迎えましたが、この頃、中学三年の時の楽しい体育祭や修学旅行等を思い出しています。
M.Nさんは、私は教員になって最初に受け持った子どもたちの一人です。
3年D組を担任した時ですから、1980(昭和55)年度です。
初めて3年生を受け持ち、卒業していった学年です。この3年D組は、私が初めて気持ちよく過ごせたクラスでもありました。(1年目と2年目は、今から思うと、めちゃくちゃでした)
3年D組は、なんとか学級づくりらしくできたかなと思えたクラスでした。
というよりも、子どもたちに助けられた面が大きかったのです。
この頃は、学年6クラス、全校18クラスだったと思います。
体育祭は、各クラス対抗。(後に、縦割り学級の〝ブロック制〟に変えました)
ビデオで録画するということもありませんでした。
よく覚えていないのですが、クラスごとの〝応援合戦〟の時間があったと思います。
たしか、M.Nさんが応援団長だったと思います。
何という台詞だったかも全く覚えていないのですが、Mさんが一人で、他のどのクラスにも優る、甲高い大きな声を張り上げて、応援の口上をグラウンド中に響き渡らせたことだけは忘れられません。
「スゴイ!」と私は感動し、その後「Mさん、喉がつぶれるんじゃないか」と心配したものです。

年賀状の文を読んで、そのシーンと感動が甦りました。
Mさんが、40数年前のことを覚えていて、思い出している。
おかげで、私も思い出している。
胸が熱くなります。
新年になって数日後、Mさんから電話がかかってきました。
卒業以来、40数年ぶりにお話ししました。
近況を報告しあいました。
感激で声が震えていたと思います。
今は、お母さんの介護があるそうです。
いつになるかは分かりませんが、「再会しましょう」と電話を切りました。
この正月、感激したことの一つです。
(つづく)

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