教育思想

自治をめざすクラスづくり(95)勉強について考える⑤【いまこそ学校に希望を153】

勉強について考える(5)

中学時代の勉強法

君和田和一『きみは中学一年生』より

1.自分を見捨てないこと

 人間が、かしこいかどうかは、小学校6年間で決まっているのではないのです。ましてや遺伝で決まっているものではありません。

 どの子も、誰でも、勉強ができるようになる知的能力を、人間として持っているのです。

「自分はもう駄目だ。勉強したって先が知れている。だからスポーツだけでも頑張ろう」などと、勉強の方を捨ててはいけないということです。通知票だけで自分の限界を決めてしまってはいけないのです。

「ぼくは、ほんとうのところ、ばかなんだろうか。頭のいいやつと脳のつくりが違うんだろうか、勉強なんか、もうしてもしょうがない」

 などと、けっして思わないことです。

 人間は、勉強のうえでは〝どの子も伸びる能力〟を誰でも、みんなしっかり持っているのです。

2.一心に、くりかえして、時間をかけて勉強する 

 勉強というものは「一心に、くりかえして、時間をかけてする」ものです。一心とは、心をこめて、集中して、きっちりとするのです。「馬鹿も一心」ということわざもあるほどです。

勉強というものは、〝一夜づけ〟でできるものではありません。たった一晩教科書とノートを読んでわかった。それでテストにのぞんでも、本当に身についているわけではないのですから、満点がとれるものではないのです。

同じことをくりかえし、くりかえし、幾度も読み、何度も書き、計算に計算を重ねてこそできるものなのです。それには時間が必要です。忍耐力もいるでしょう。時間の量が、そのひとの勉強の質を変えていくのです。

君はどうですか。わかったところを、またもう一度勉強しなおすのは、めんどうだと思いませんか。数学と同じような例題をいくつもいくつも練習するのを嫌がっていませんか。

勉強に近道はないのです。

例をあげてみましょう。

たとえば野球です。投球があればバットに当てる。ボールが飛んでくれば、グローブを広げて、その中に入れる。その理屈は誰でもわかっているのです。しかし、同じことを何十回、何百回、幾千回も、練習をくりかえして、しだいにミスを少なくしていくのでしょう。理屈でわかっていることも、練習によってはじめて、からだに覚えさせることができるのです。君がもし、野球部に入ったとすれば必ず、勝つためにミスをなくす練習をするでしょう。

勉強も同じです。くりかえし練習することによって、記憶し、判断をたしかなものにしていくのです。勉強の〝一夜づけ〟では、いつまでたっても、ポカ忘れやミスをなくすことはできないでしょう。成績がのび悩んでいるのもそのためなのです。けっしてアタマがわるいからではないのです。

西洋のことわざで、

Slow and steady wins the race,

「ゆっくり、着実にやれば、レースに勝つ」

というほどです。

3.何のために勉強するのか?

「きみは、何のために勉強しているのですか?」

「……」

中学一年生の多くは、

「わかりません」

「考えたことがありません」と答えます。

中学三年生になると、多くの生徒が、

「高校へ進学するため」とか「合格必勝のため」

と答えます。

勉強は何のためにするのか? うるさいママが言うから仕方なくしているのだなどという子は別にして、高校入試のためという目的だけでよいのでしょうか。

人類にとって、勉強するっていうことは、まず、「人間になる」ためです。

君たちは、狼に育てられた少年のことを聞いたことがあると思います。ヒトは、生まれてすぐに歩くことも、言葉や道具を使うこともできません。ですから、赤ん坊のころから狼に育てられた彼は、からだは人間でしたが、狼のように両手を使って歩き、狼のような声を出したそうです。

ヒトが「人間」になるためには、今まで築き上げられてきた人間社会のさまざまな文化を学びとらなければならないのです。君はまだ「ヒト」として生まれて「人間」になる途上にいるのですね。逆にいえば、「人間」になりそこねるってことだって、大いにあるのです。

しかし、それだけではありません。人類にとって勉強するということは、さらに人類がより幸福で、平和で、豊かな社会を創造していくためなのです。

もっとわかりやすくいえば、勉強とは、君自身の利益や出世のためではなくて、もっと広い、すぐれた目的のためにしているのですよ。

明治の頃、札幌農学校の創造に力を尽くしたクラーク博士(1826~86)は、日本を離れる時、

Boys be ambitious!「少年よ、大志を抱け!」という有名な言葉を残しました。

君たちが少年であり、「若い世代であることのしるしは、大きな理想、すぐれた志を抱いていることなのです。

中国のことわざに、次のようなものがあります。

「小さな家の玄関口に立って、世界を見る」

貧しくてちっぽけな家に住んでいても、門口(かどぐち)に立って、広い世界を望み見るような人間になろうという意味です。

さて、勉強は何のためにするのでしょうか。

世界の良心的な科学者は、かつて、

「学問は、真理・真実を探求することにある。そして、真理・真実を探求することは、人類の平和のためになる」

と誓い合ったことがあります。

君たちも、中学時代に君たちなりの学問観を、きちんと持つようになることが大切でしょう。

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