80年目の敗戦の日
8月15日は、80年目の敗戦の日です。
「終戦の日」といいますが、歴史の意義としては「敗戦の日」と呼ぶのが相応しいと思います。
8月14日に日本政府がポツダム宣言を受諾し、翌15日にいわゆる〝玉音放送〟で国民に戦争終結を伝えたのです。
9月2日に、正式に降伏文書調印が行われたので、国際的には9月2日が日本の戦争終結=第二次世界大戦終結の日となっています。
第2次世界大戦を起こした3ヵ国のうち、イタリアではファシズムの反対するレジスタンスが高まり、1943年7月にイタリアの人々がムッソリーニ政権を倒し、戦争を終結しました。
ドイツは、1945年5月に降伏し、最後まで戦争を続行していたのは」日本でした。
日本は、ヨーロッパで第2次世界大戦が始まる(1939.9.1)前から戦争に突入していました。
当たり前のことですが、戦争はどこかの国(政府)が始めない限り起こりません。
15年に及ぶ戦争の始まりは、1931年9月18日柳条湖事件でした。
日本が支配していた南満州鉄道の線路に関東軍(満州の日本軍)が爆弾をしかけ爆破し、それを中国のしわざにして戦争を始めたのです(満州事変)。
1937年7月7日には盧溝橋事件を口実に中国にたいする全面戦争へと拡大しました。
日本軍は中国で、南京大虐殺をはじめ残虐の極みを尽くし、少なくとも1000万以上の人を殺害しました。
中国側は抗日民族統一戦線を結成し激しく抵抗しました。
米英による援蒋ルートを絶つべく南下政策をとり、1941年12月には東南アジア~太平洋に戦線を拡大しました。
これがアジア・太平洋戦争と呼ばれる戦争です。
42年6月ミッドウェー海戦から日本軍は敗北を重ねていきます。
日本政府は、勝ち目のない「一億玉砕」「本土決戦」まで考え、沖縄はそのための〝捨て石〟にさせられました。
遅くとも1945年初めの時点で、日本の敗戦は決定的でした。(冷静に客観的に考えれば、初めから米国と戦争して勝てる見通しはなかったのですが)。
戦争の続行に拘る唯一の理由は、「国体(天皇制)の護持」だけでした。
1945年7月26日、米英中首脳の名でポツダム宣言が発せられましたが、日本政府は「黙殺」。
日本政府は米国との秘密交渉で天皇制維持の確約を得て、8月14日ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏したのです。
終戦の決断は遅きに失したと言わざるを得ません。
同年2月の近衛上奏文の時点で天皇が終結を決断していれば…と悔やまれます。(大日本帝国憲法では、戦争の開始・終結は天皇大権に属していました)。

大正時代は、〝大正デモクラシー〟と呼ばれ、民主主義の運動が発展しました。
昭和になって(1926年)わずか5年ほどの間に、金融恐慌、昭和恐慌、世界恐慌が起こり、「満州は日本の生命線」という宣伝が広まり、軍国主義化が進みました。
あの戦争に無反省のまま、それどころかあの戦争を美化し、現在、戦争できる国づくりが着々と進められています。
防衛省は、「子ども版防衛白書」を作成し、全国の学校に配布しているそうです。
子どもたちに、軍国主義・戦争への抵抗感をなくす狙いが透けて見えます。
現在が、戦争に突き進んでいったあの時(1920年代後半~1930年代)と似てきている、といわれています。
私もそう思います。戦争は、はじめてしまったら、なかなか終わらないのです。(イラク戦争、アフガニスタン戦争、そして現在進行中のウクライナ戦争などを見てもわかります)
〝子どもたちを再び戦場に送らない!〟
戦後民主教育の原点に立つことが、きわめて重要になっています。
われらは先に、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。(1947教育基本法)
いまは、法律ではなくなりましたが、教職員が拠って立つ規範とすべきではないでしょうか。
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