経験談

子どもが主人公の学校に!(5)【いまこそ学校に希望を263】

子どもが主人公の学校に!(5)

目標は高らかに決めたけれど…

「教育」というのは、学校や教師が、ある特定の価値観の枠を決めて、子どもをその枠の中にはめ込むようなものではありません。
こう言うと、ほとんどの人は「当たり前でしょう」「特定の価値観を押し付けるなんて、それはダメだよ。そんなことしてはいけない」と反論するでしょう。

「子どもを主人公に!」と言うと、だれもが「その通りだ」「それが大切だ」と同意するでしょう。
「子どもが主人公の学級を、学校をつくっていきましょう!」
「ことしの教育目標は、〝①子どもが主人公の学校に!〟〝②自ら学び、自ら判断する子に!〟で、異議ありませんか?」
「異議なし!」
「子どもが主人公」?
ところがその後、この〝目標〟について、その具体的な中身は何なのか?
どんな学級、どんな学校が〝子どもが主人公〟と言えるのか?

議論や実践の交流が無いまま、忙しく日々が過ぎてしまうことが多いのではないでしょうか。

生徒会の委員会や学級内の係を決め、一人ひとりの子どもが決められた仕事をやっていきます。
一人一役で平等に決められている役割分担ですから、ほとんどの子がちゃんと仕事をちゃんとやります。
たまにできない子がいると、教師から注意されたり叱られたりして、できるようになります。

子どもたちは、一人ひとり自分の持ち分をしっかりこなしていきます。

時々子どもが教師の所にやってきて、「○○はどうしましょうか?」などと尋ねます。
 
教師:あなたは、どう考えているの?
子ども:私は、〇◇したらいいと思います。
教師:それでいいんじゃないの。ここは、◇◇にした方がいいんじゃないかな。
子ども:私もそう思います。わかりました。ありがとうございました。

子どもは、責任もって自ら考えて自ら判断してやっているようです。
子どもは、自主的にやっているようです。
子どもが主人公になっているようです。

でも、「何か違う」と思いませんか?
 
「子どもが主人公」の意味を問う! 
~本当に子どもが主人公になっているか?~

学級の中にどんな係を置いて、それぞれどんな仕事をやるのか、初めから決まっています。
〝係を決める〟ということは、子ども一人ひとりがどの係を担うのかという役割分担を決めるということです。
生徒会の委員会も、それぞれの委員会がどんな仕事をするのかは、初めから決まっています。
子どもが考えるのは、その仕事の枠内です。その枠内での〝創意工夫〟です。
多くの学校には〝校則〟があります。
学校に持ってきてはいけないもの。
髪を染めてはいけない。
こんな服装は禁止。
制服を着なければいけない時。……
それには絶対違反してはならない。

文化祭、体育祭、合唱祭などの行事は、職員会議で〝反省点〟は出されますが、〝伝統〟の名のもとにほぼ例年通り。学級や学年・全校で子どもたちが意見を出し合って、大きく変わることはありません。
まして、卒業式や入学式などの〝儀式的行事〟にたいして、子どもの意見を聞くということはありません。

学校は「子どもが主人公」~ホンモノをめざして~

中学生になれば子どもたちは、自由闊達に意見を出し合い、議論する力をもっています。
その力を育てることができます。

ドイツでは、学校のカリキュラム編成にも子どもの意見を聞くそうです。
子どもが学校の主人公であるならば、子どもたちが、学校生活の全てについて議論し考え、その決定―実行に関与できるということでしょう。

その理想に向かって一歩ずつ歩みを進めていくことが、学校づくりではないでしょうか。
子どもの権利条約で保障されているように、子どもが意見表明権を行使できるように、育てることが教師の仕事ではないでしょうか。

多くの学校で、子どもたちに枠をはめることは間違っていると思いながら、「ここから外れてはいけない」「ここを破ってはいけない」という枠を作っているのではないでしょうか。
自由と自治を育て、子どもが主人公の学校づくりに取り組んでいる学校もあります。
本当に子どもが主人公になっているか問い直し、そういう学校から学ぶことが大切でしょう。

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