経験談

子どもが主人公の学校に!(14)【いまこそ学校に希望を273】

子どもが主人公の学校に!(14)

子どもを主人公にする体育祭、合唱祭が定着していったが……

A中では、大きな学校行事を次のように配置しました。

1学期…旅行的行事(1年は遠足、2年はキャンプ、3年は修学旅行)、
2学期…体育祭と合唱祭。

以前は、2学期の初めに文化祭を行い、文化部の発表や各教科の展示物のほか、クラスごとの参加もありました。
体育祭の準備と重なり、職員にとっても生徒たちにとっても大変な負担なっていたので、文化祭は廃止して、「文化部発表会」へ縮小しました。
3期は…3年生を送る会と卒業式。(この2つの行事については、後日述べます)

とくに、体育祭と合唱祭は、子どもを主人公にして子どもを育てる2大行事となり、定着していきました。
学校の〝荒れ〟をきっかけに、A中から学んで、S中の体育祭もブロック制(縦割り学級制)に変えたことは、先に述べた通りです。
そのS中がすっかり落ち着いた2007年、私はA中へ異動し、3学年所属になりました(家庭の事情で学級担任は外してもらいました)。
そこで、不思議な体験をすることになります。

体育祭。
3年生が指導学年として自主的に動き、1・2年生をよく指導し、いい体育祭になりました。(そう見えました)
合唱祭。
3年生が、よく声も出ていて、まあまあいい合唱をつくりあげていました。(少し粗削りではありましたが)
ところが、授業が大変なのです。チャイムが鳴っても席につかず、なかなか始められません。

「席につきなさい!」「授業始めるから早く席について!」と大声で叫ばなければなりません。
やっと始まっても、止めどないおしゃべり。
体育祭では3年生が声をかけあっていたのに、誰も「静かにしよう!」と注意しません。
教師が「授業を始めるからおしゃべりやめよう!」「イイカゲンにおしゃべりやめなさい!」と怒鳴らければなりません。
やっと静かになって授業が始まっても、またすぐにうるさくなります。

あの校内暴力の時のような、暴力事件が起こったわけではありません。
とにかくだらしないのです。

3年生のあるクラスで、学級担任が出張でいない時に、合唱の練習のようすを見に行って、びっくりしました。
立候補で指揮者になった子が、踏ん反り返るように椅子に座って、「練習するから、並びなよ!」「声出せよ!」と横柄な態度です。
これじゃ、指揮者ではなくて、クラスを牛耳る王様です。
「自主的」の中身がこれだったのかと愕然としました。

一人ひとり個を大事にして、みんなで協力し助け合っていいものを作り上げる、そういう関係を築くという行事の目的から完全に逸脱していたのです。
「格好がつけばいい」という行事に変質していたのです。
行事~日常~行事~日常、という循環も全くありませんでした。
残っていたのは、退廃…。
何のために、なぜ行事に取り組むのか?という議論が抜け落ちていたのです。
カタチだけ追って、何を育てるのかという思想がないとどうなるか、という典型を示していました。
教育は、築くのは時間がかかるが、崩れる時は早い、と改めて考えさせられました。
また、一から、いやゼロ、マイナスからのスタートになるなあと思いました。
(A中をどう立て直したかについては、後日述べることになります)

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