憲法記念日にあたって(3)+こどもの日にあたって
子どもたちを再び戦場に送らない!
憲法の基本原理を遵守してこそ㊦
憲法の基本原理は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義(戦争放棄)の三つです。
国民主権とは、学校でいえば子どもが主人公だということです。
もうひとつ、国との関係でいえば教職員が主人公だということです。
これについては、後に述べることにします。
2つ目の基本原理、基本的人権の尊重について述べます。
子どもも、憲法で保障された基本的人権の行使者であるということです。
「すべて国民は…」の言葉に当然子どもも含まれます。
児童労働を禁止した勤労の権利(憲法27条)と「成年者による普通選挙」を定めた選挙権以外は、どの権利も年齢制限はありません。
数々の基本的人権の中でその土台となる人権は、個人の尊重です。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(憲法13条)
「公共の福祉に反しない限り」とはどういうことかについても後に説明することにします。
これに付随して土台となる人権は、平等権です。
「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(憲法14条)」
つまり学校においては、子ども一人ひとりが個人として尊重され、一人ひとりの生命、自由、幸福追求の権利が最大尊重されなければならないということです。
そして、基本的人権が、ある人には保障され、別のある人には保障されないという差別があってはならない。
どの人にも保障されなければならないということです。
「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」と例示されているのは、過去に、あるいは現在でもこれらのことを理由にした差別が多かったからで、もちろんどんなことも理由にしても差別は許されません。
「個人の尊重」と「法の下の平等」。これに反対する人は誰もいないでしょう。「当たり前でしょう」と言われそうです。
しかし、前にも述べたかもしれませんが、疑ってみましょう。本当にそうなっているか?
二つの土台の上に、さまざまな権利が憲法に定められています。
例えば、「思想・良心の自由」(19条)と「表現の自由」(22条)。
この2つの権利は、一体として考えるべきです。
「思想・良心の自由」は「内心の自由」ともいわれるように、心の中で思い考える自由です。
それを表現することによって、社会の中で意味を持つからです。

ある子どもが、「髪型や髪の色は、各自の自由にすべきだ」と考えている。
その子は「自分の髪は茶色にしたい」と思い、「それが自分にとって幸福だ」と感じている。
しかも、それで誰かが傷つくわけでもない。
憲法に則れば、個人が尊重され、生命・自由・幸福追求の権利が最大尊重される。
とすれば、その子が髪を茶色にする自由が、認められて当然ではないでしょうか。
ところが、〝校則〟では禁止されている、という学校が多いのではないでしょうか。
これは、一例にすぎません。
「憲法を固く守ります」と宣誓していながら、こういうことがまかり通っているのが実態ではないでしょうか。
憲法原理に則って、学校の全てを見直す時期にきているのではないでしょうか。
申し訳ありません。
タイトルに〝子どもたちを再び戦場に送らない!〟と書いたのに、述べていません。
このテーマは、より重大な危機に直面しています。
項を改めて、述べるつもりです。

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