行事の実践3
合唱でつくる学級・学年・全校集団
音楽の特別な感動
文学・美術・演劇・舞踊・映画など、さまざまな文化・芸術があります。すぐれた文化・芸術はそれぞれに美しさがあり、面白さがあり、意味深さがあり、感動があり、どれも欠くことのできないものです。
しかし、感動という面では、音楽にまさるものはないのではないかと、私は思います。それに匹敵するとすれば、映画かなと思いますが、映画にしてもその音楽と切り離せないのではないかと思います。「ニューシネマパラダイス」のエンニオ・モリコーネの音楽。「ベニスに死す」のマーラー第5交響曲のアダージェット。「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイ。
「サウンド・オブ・ミュージック」のジュリー・アンドリュース、「ひまわり」のヘンリー・マンシーニ……枚挙にいとまがありません。
空気の振動が直接私たちの肌に響いてくる、その繊細さ、また迫力。
文字を持たなくても、音楽を(時に踊りを伴って)持たない民族はないのではないでしょうか。人間は、言語より前に音楽を生み出していたという説もまた頷けます。
音楽そのものに、社会を変える力はないでしょう。
ヒトラーが、フルトベングラーとベルリンフィルにベートーヴェンの第九交響曲を演奏させたように、日本でも戦争中に多くの軍歌がつくられたように、しばしば悪用されることもあります。リヒャルト・シュトラウスが日本政府に委嘱されて「紀元2600年」という曲をつくったというのですから驚きです。
しかし、それ以上に音楽は社会変革を推進するはたらきをしています。イラク戦争の時の「イマジン」、アメリカ公民権運動の時の「ウイ・シャル・オーヴァーカム」、フランス革命の時の「ラ・マルセイエーズ」、「原爆をゆるすまじ」、美空ひばりの「一本の鉛筆」……
これまた、枚挙にいとまありません。
私が勤務していた学校でも、学校が荒れ狂うという局面になりました。そのとき、教師集団で合意したのが、〝合唱で変えよう!〟でした。
子どもたちに〝有志〟を募って、「中央合唱団」をつくって合唱をつくり、学校を変えていったこともありました。
「アイカンレン=愛と感動と連帯」という有志組織をつくり、その活動の中心を合唱とソーラン節にして、変えていったこともありました。
クラス合唱に取り組んで、「合唱はクラスを表すね!」「合唱はクラスそのものだね!」と
教師同士で頷きあったものです。
というわけで、合唱の取り組みについて、語っていきたいと思います。何回になるかわかりません。
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