中学3年生、進路について考える
高校には入ったが…
中学3年になると、高校進学が目前に迫ってきます。
「とにかく高校に入りたい」と思うものです。
高校入試の発表の日には、合格した子たちの「やったー!」という歓声があふれます。
子どもたちは、希望に燃えて最高の笑顔を見せてくれます。
その光景にかくれて、不合格になった子の落胆した姿もあります。
一方、それほど行きたかった高校に入ってから、途中でやめてしまう子が少なくありません。
「勉強が足りなかったから落ちてしまった」
「高校の勉強についていけなかったからやめてしまった」
と、ひたすら反省。
「勉強しなかったからしょうがないよ」
「だらしない生活をしていたから当然の結果ね」…

高校に受かって良かった。
落ちてしまってダメだった。
なんとか行き場所が見つかって良かった。
それで終わりにしていいのでしょうか?
進路を考える大前提
ここで考えたいことは、高校に入ればよいというせまい意味ではありません。
どの学校に行くか、どんな職業に就くか…。これらは進路を考えるうえで、大切なことですし、必要なことです。
しかし、私たちのいちばんの願いは、子どもたちが、自立した人間として成長し、自分の幸福と世の中の幸福を結びつけ、自分の生き方を自分で切り開いていける人になったほしい、人間らしく生きていく力を身につけてもらいたい、ということではないでしょうか。
とすれば、どの学校に行くかが決まればよいということではありません。
進路を考える時、「人間らしく生きる」という大前提を考えなければなりません。
それはまさに、「自立の力を育てる」という教育の目的そのものです。
進路指導とは
ですから、教育活動の中で、〝進路指導〟という特別の分野があるわけではないのです。
それぞれの教科の授業の中に、行事の取り組みの中に、学級集団づくり・学年集団づくり・全校集団づくりの中に、「進路指導」の視点を欠かせてはならないということです。

日常の教育活動のなかに「進路指導」を位置づけるとともに、それを補うために、〝働くとはどういうことか〟〝さまざまな生き方から学ぶ〟などのテーマが立ち上がるのです。
「進路」とは、「これから生きていく道」です。とくに中高生にとっては、きわめて重要なテーマです。
進路指導は、自立を育てる教育そのものです。
進学指導に矮小化しないように、気をつけたいものです。
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