平和への誓い

憲法記念日にあたって㊦

憲法を手放してはいけない

教え子を再びに戦争に送ってはならない!!

戦前、ごく一部の学校や教師を除いて(この勇気ある人々は政府による厳しい弾圧をうけました)、ほとんどの学校と教師は、軍国主義教育に手を染め、子どもたちを戦場に送る役割を担いました。
もし自分がその場にいたら、弾圧を恐れず抗しきれただろうか?と思います。

結果、多くの子どもたちが、戦争になんら疑問も感じずに軍国少年・軍国少女として育ちました。

教育は、それほどの力をもつものなのです。

この痛恨の極みから戦後教師たちは、この旗を掲げました。

〝教え子を再び戦場に送らない!〟

軍国主義教育の指針とされた教育勅語は執行停止され、1947年に「教育基本法」が施行されました。
その前文は、至極の名言と言っていいでしょう。

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

この教育基本法はもはや存在しません。大きく変えられてしまいました。

前文もずいぶん薄っぺらになってしまいましたが、かろうじて「日本国憲法の精神にのっとり」という文言は残りました。

 「日本国憲法の精神」とは、平和主義・国民主権・基本的人権の尊重に他なりません。

ところが、この文言とは裏腹に、憲法の精神を蔑ろにする強権的な動きが公教育の現場に押し寄せています。

  • 歴史修正主義により偏向した教科書検定
  • 教科書検定の名による事実上の検閲
  • 中間管理職を増やして、教師の同僚性に分断を持ち込む動き
  • 国家の統制を強める教育委員会制度の改悪
  • 「道徳」の教科化による愛国心教育
  • 全国学力テストによる競争主義
  • 給特法温存・改悪によるさらなる教師いじめ
  • 解消しようとしない教員の多忙化
  • 教育予算の削減方針を変えず、疲弊する学校現場
  • 「法的拘束力」を盾に学習指導要領のおしつけ

 ………

慣れてはいけない! 疑問をもつことから!

すぐに思い浮かぶものだけでも、こんなに教育現場への統制が……

人間を育てる教育現場にこそ、憲法で保障された基本的人権が生かされなければならないはずなのに、実態はどうでしょうか。

  1. 「義務教育は無償とする」(憲法26条)☞ 無償化は授業料だけではありません。公立の小中学校でもなんと保護者負担が多いことか!
  2. 教育DXのおしつけ ☞学校と教員の、教育の自由はどこへいってしまうのでしょうか?
  3. 思想・良心の自由 ☞教職員の思想・良心の自由は守られているのでしょうか?
    ☞子どもたちの思想・良心の自由は守られているのでしょうか?
  4. 思想・良心を守るということは、それを表明する自由、つまり表現の自由が守られなければなりません。
    子どもたちの意見表明権が守られているでしょうか?
    ドイツでは学校で子どもたちに、政治参加の意義と方法、デモへの参加の仕方を教えるそうです。
    フランスでは、社会をよくするには国民の批判力を育てる必要があるということで、大学まで無償にしているそうです。
  5. どの子にも、学ぶ権利・幸福を追求する権利があるはずで、そのためには、少なくとも欧米諸国並みの20~25人学級の早期実現が必要なのに、35人学級の実現で留まっている。
  6. どの子にも、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるはずなのに、文化予算のなんと貧弱なことか! 軍事予算には湯水のように使いながら…!
  7. 9人に1人の、子どもの貧困
  8. 減らない不登校やいじめ
  9. 多忙化で疲弊する学校現場 
    ☞教員の成り手がいなくなる?!

教育の危機的状況は、憲法が生かされていない現状を映しているといえるでしょう。

〝人間は慣れる動物である〟

ドストエフスキーの名言だそうですが、言い得て妙です。

慣れてしまうことが、私は怖いと思います。
日本の教育は、本当に戦後最大の危機に直面していると思います。
慣れてはいけません。
本当にこれでいいのか?
他の選択肢はないのか?
他の考え方はないのか?
これでホントに子どもは育つのか?
ホントに憲法を固く守っているか?……
まずは、疑問を持つことから始めませんか!

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