働くことについて考える③
菊地良輔著『おとなへの出発』(民衆社)より
これまで学んだことは、人間は、労働のおかげで人間としての生活ができるということでした。
でも、それだけではありません。
じつは、人間そのものをつくり出したのも「労働」なのです。
それは、サルの一種であった人間の祖先が、人間にまでなってきた、長い歴史が物語っています。
まず、まだ人間ではないこの人間の祖先たちは、全身毛でおおわれ、木の上に群れをなして生活していました。
そして、たぶん木の上の生活で枝にぶらさがり、木の実を手で採ったりして、手と足とに別々の役を割り当てる機会が多かったせいでしょうか、これらのサルは、平地を歩くのに手の助けをかりずに、直立して歩くならわしを身につけ始めたのです。
これが、サルから人間に変わっていくための、決定的な第一歩でした。
歩くためには、2本の足しかいりません。
したがって2本の手は自由に使えます。
そこでこの手が、いろいろなことができるようになっていくのです。
人間は、「道具を作る動物」ともいわれますが、この手の発達がそれを可能にしました。
そして、よく知られているように、手は、そういう意味で、労働にどうしても必要なものになったわけですが、逆に、それは労働の産物でもあります。
労働することによって、筋肉や骨が発達し、サルの手とは大変なちがいがある、人間の手になってきたのです。

そして、その発達した手、それによって作られた道具がより複雑な作業を可能にし、自然にあるものの、新しい、それまで知られていなかったいろいろの性格を発見してきました。
一方では、労働の発達は、人間と人間を結びつけ、お互いに助け合ったり、協力して働いたりする機会をふやしていきます。
そして、人間と人間との間で、なにかを話し合わなければならないという欲求をつくり出すのです。
欲求は、それに必要な身体の器官をつくり出します。
口やのどが、変化ある音調で発声するのに都合のよいように、だんだん、しかし着実に改造されていきます。
ここで、労働は、ことばも生んだのです。
労働と言葉は、また、脳の発達をともない、それをうながし、ここで人間ははっきりとした「意識」を持つようになります。
同時に、脳の出先機関ともいえる感覚器官が鋭くなっていきます。
目も、耳も、鼻も、手足も、もののこまかいちがいを区別できるようになっていくのです。
脳、感覚器官の発達、それにともなって考える力の発達は、また逆に労働の範囲をひろげ、質を高めます。
はじめて人間の手で作った道具は、狩りと漁のためのものでした。
狩りのための石器は、同時に武器でもあります。
これはサルであったときの習慣であった植物性の食物に、肉食を加えたことを意味します。
肉食の習慣は、効果的に全身、とくに脳に栄養を与え、わたしたちの祖先をいよいよ活動的に、いよいよ賢くしていきます。

さらに、肉食は、火の使用と動物の飼育をうながし、住める範囲を拡大していくのです。
また、気候が寒ければ衣服をつくり、住むところをくふういます。
こうして人間は、どんどん動物との距離を遠くしていきました。
動物は自然を利用するだけですが、人間は自然に働きかけ、それを変え、自然を自分の目的に奉仕させることができます。自然の法則を知り、それを正しく応用することによってそれが可能になるのです。
これが、動物と人間の根本的なちがいとなります。
やがて、狩猟、漁撈、牧畜に加えて、農耕が現れ、紡織、金属加工、製陶、航海が可能になり、芸術や化学が生まれ、人間の社会が形づくられていきます。
労働は、人間をつくりあげたのです。
(つづく)
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