子どもが主人公の学校に!
子どもたちは、ホンモノを求めている!
~子どもを信じきること・その2~
競い合い高め合う関係
こんなことがありました。
学校に〝音楽会〟という行事があります。
各クラスが合唱をやります。
音楽の先生が、〝コンクール形式〟で行い、すぐれた合唱をつくりあげたクラスには、〝金賞〟
〝銀賞〟という賞を出したい、と言いました。
この学校は、学年3クラスしかありません。
他の先生から、こんな意見が出ました。
「賞を取ることが目的になってしまって、競争主義になってしまう」
「賞を取れなかったクラスは、落ちこんでしまってかわいそうだ」
「だいたい、音楽は競うものじゃない。みんなで仲良く歌えばいいじゃないか」
みなさんは、どう考えますか。
そう言われれば、「そのとおりだ」と頷いてしまいそうです。
私は、自分の経験からも、「いや、そうじゃないんじゃないか」と考えます。
なぜなら、次のようなことが度々あったからです。
私がかつて勤めた学校では、はじめ合唱大会という呼び名で行っていました。
「合唱大会」というと、いかにも勝者と敗者を決めるようなイメージです。そこで、「合唱祭」と変えました。
しかし、賞を出すのは変えませんでした。ただし、「1位」「2位」…ではなく、「金賞」「銀賞」として、すぐれたクラスが2つあれば「金賞」を2つ出してもよいという含みを持たせました。
合唱祭の練習が始まると、どのクラスも〝金賞〟を取ることを目標に、練習に熱が入ってきます。
「○組がうまそうだ。負けないぞ」などという声が聞かれるようになります。
本番の1週間ほど前に「中間発表会」があります。
「やっぱり○組がリードしている」
他のクラスは、巻き返しを図ります。各クラスの競う合いが、さらに熱を帯びます。
ついに本番当日。

演奏順にステージに上がり、これまでの練習の成果を思う存分出して、歌い切ります。
保護者のみなさんも、この日を楽しみにしています。
各クラスの素晴らしい合唱にあたたかい拍手が送られます。
全クラスの合唱がおわり、審査発表。
校長先生から発表されます。
「銀賞は、○組です」
「金賞は、◇組!」
そのクラスの子たち、「キャー!」「やったあー!」と跳び上がります。
嬉しくて、感激して、泣いています。
賞が取れなかったクラスの中には、悔しくて泣いている子もいます。
しかし、数分後、空気が変わります。
表彰式では、金賞のクラスにたいして、全校生徒からあたたかい、惜しみない拍手が送られます。
他のクラスの子が、金賞を取ったクラスの子たちへ駆け寄ります。
「おめでとう! ◇組、やっぱりうまかったよ!」
「ありがとう!」
会場には、勝ち負けを超えた、あたたかい空気が流れます。
みんなでいい合唱祭をつくりあげた達成感!その大きな感動に包まれます。
子どもたちは決して、勝ち負けのために合唱に取り組んだのではないのです。
金賞をめざすことを励みにしながら、クラスみんなでよりよい合唱、ホンモノの合唱をつくり、それが大きな感動を生むこと、それは今でしかできないことだということを、本能的に知っているのではないでしょうか。

それはスポーツでも言えることです。
オリンピックで当然、メダルをめざします。しかし多くの選手たちは、それを超える価値があることを知っています。ですから、自分が敗れても勝者を讃え、また勝者は敗者に駆け寄り健闘を讃えます。
子どもたちは、真に価値があることは何かを知っているのです。
それを信じきることが大切ではないでしょうか。
子どもたちは、ほんとうに美しいもの、心ふるえ深く感動するものを、敏感に感じ取っているのです。
本来、子どもたちは、実に純粋で、人間らしい温かい心を持っているのです。
そこを信頼しなければ、子どもを不幸にしてしまうのではないでしょうか。

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